「なぜ新聞を読まなくなったと思う?」の問いに考えること
大学にいると、メディア関係者からこの問いをよく聞きます。
僕自身もなぜ読まれなくなったのかということは常々考えてきました。
結論から申し上げると、最近思うのは、「そこにあるもの」ではなくなったからではないかということです。
私は忙しい日でなければ、大体、全国紙を全部ざっと目を通します。なぜなら、新聞は読み比べが一番面白いからです。
気になるニュースがあれば、そのテーマの記事をじっくり読み比べると、どの社がどこに力を入れていて、どこに強い情報源を持っているかが見えてきます。記者の息づかいが感じられて、面白いです。右や左などの政治思想よりも、よく現場で聞き込みしているなぁとか、捜査関係者と太いパイプを持っているなぁとか、そういうことを記事から読み解く方が好きです。
全紙読むのに最も便利なのは、図書館。勤務している大学の昼休みに図書館に行くと、3階に新聞閲覧コーナーがあり、一つの机に1紙広げて見られるようになっていました。
ただ、ここには先客がいて、大体同じ人が同じ時間帯に同じ新聞を読んでいることが多く、私は何紙か読んだ後に、学会誌などをぺらぺらしながら、その人たちが読み終わるのを待ちます。結構な時間読んでいるので、熱心な人たちだなぁと思っていました。
ある日、図書館のレイアウトが変更されて3階の新聞閲覧コーナーがなくなり、1階入り口近くに新聞ラックが設置されるようになりました。それに伴い、机がなくなりました。
これからは、あの熱心な新聞ファンの職員に1階で遭遇することになるなぁと思っていたら、その日からその人たちと全く遭遇しなくなりました。
そう、おそらく彼らは、新聞を読みたくて新聞閲覧コーナーにいたのではなく、昼休みに静かな部屋でゆっくりくつろげる居場所がほしくて、新聞閲覧コーナーにいたのです。
新聞は何が何でも読もうとするものというよりも、そこにあるから何となくぺらぺら読む。実はそういう人が大半なのではないでしょうか。
そう考えると、昔は今よりも、私たちの近くに何となく新聞があった。しかし、今は新聞よりも何となく近くにあるものが出現した。
今、電車に乗っていると、多くの人がスマホを眺めています。電車の椅子に腰をかけ、真剣な顔をしてスマホ触っている年配のビジネスパーソン。窓に反射したスマホの画面に映し出されるのは、パズルゲーム、シューティングゲーム、格闘ゲーム。
もはや新聞の競合は、隣の大手紙、ブロック紙、地方紙ではありません。ゲーム会社であり、Youtuberであり、買い物サイトなのかもしれません。
みんなのポケットに入っている機械で、お金を払ってでも新聞を読もうとさせられるか、ということなのだと思います。
確かに、質の高い記事を出し続けることは重要であることは変わりませんし、マスメディアしかできていない取材はたくさんあります。しかし「なぜ新聞を読まなくなったと思う?」との問いは、記事の質を問う文脈だけで語られがちですが、まずは「そこにあるもの」である必要があるし、そしてゲームよりも見たいと思える仕掛けを、デジタル・アナログで、商品だけでなく、流通、価格、プロモーションの戦略を総合的に考えていかなければなりません。
新聞の面白さ、ちゃんと多くの人に届いてますかね?
最近、なんとなくそういうことを考えていました。
それでは、お元気で。