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人材育成の観点から「経営」「教育」「メディア」について考えます。

新聞社が求めている人材は、“記者”ではない!?

◆新聞社の採用ページから見た人物像◆

先日、大学院の同級生から「記者ってどんな仕事?」と聞かれました。一言で返すのは難しいのですが、そのときは「多分、思っているより泥臭い仕事だと思うよ」という言葉が口をついて出てきました。

 

記者って、「記す者」と書くくらいだから、文章を書く仕事のイメージが強いかもしれません。しかし、実態はどうなのでしょうか。

 

各社の採用ページで、求めている人材に関わる言葉を抜粋してみました。

 

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このように見ると、「好奇心」や「行動力」、「コミュニケーション」という言葉が目に付きますね。つまり、新聞社は、文章を書く資質のある人を求めているというよりも、取材力のある人を求めているということが分かります。

 

◆好奇心とは◆

ちょっと社交的で活発な人なら、誰にでも当てはまりそうな資質ですが、仕事で求められるレベルとなると、意外にこれが難しいのです。

 

昔、こんなことがありました。

 

県警記者クラブで雑務仕事をしていたら、広報の人がやってきて、「今度、こんなことするから取材来てよ」と、一枚のペラを渡されました。そこには、暴力団対策課が、夜にスナックやバーを回って、しめ縄を配るというものでした。暴力団は年末になると、縄張りとする地域の飲み屋に門松やしめ縄を高額に販売するという慣習があり、それを事前に食い止める策として、配って回るというのです。

 

「うーん、夜遅くの取材だし、絵にもならなさそうだし、そもそもそれ意味あるのかな……」

 

なんて思いながら、ふと横にいた他社の後輩記者を見ると、目をキラキラと輝かせて「辻さん、これおもしろくないっすかー?めちゃくちゃおもしろいじゃないですかー?県警がしめ縄配るんですよー?」と。

 

Σ(゚д゚;) 

 

「すごい。好奇心が半端ない」

 

結局、僕も取材に行き、記事を書きましたが、彼は必死に全国面に載るようにデスクと交渉していました。

 

このように、好奇心一つとっても、なかなか奥が深そうです。

 

◆昔、「記者」は取材をしていなかった◆

そもそも、大正期ごろまでは、文章を書く人と取材する人は、職種が別れていました。文章を書く人を「記者」、取材をする人を「探訪」と呼んでいました。

 

探訪は「古い時期には、御家人くずれ、町内の口きき、刑事の古手などが含まれた。文字を知らない者は、内勤の記者に報告して記事を書いてもらっていた。つまり無学の者が多かった」「記者と探訪者の違いについて、長谷川如是閑は『庶民一般は政談演説でもなければ新聞記者には接しなかった。庶民と接していたのは探訪人だけだ。上のほうの記者は恐れられていたというより尊敬を受けていたが、探訪人は、民間からはバカにされていたものだ』と回想している」(河崎吉紀著『制度化される新聞記者-その学歴・採用・資格』2006年柏書房p20)と研究者の本の中では説明されています。

 

その後、報道のニーズが高まり、記者が取材、探訪者が文字を書くようになって両者の違いはなくなったということです。

 

現在、記者の中でも、担当によってはほとんど記事を書かず、情報をとってきて、メモにするということを毎日している人もいます。これはまさに「探訪」的な仕事で、「記者」的要素は低いように思います。

 

しかし、今、「記者」という言葉だけ残っているのは、あくまで個人的な推察ですが、もともと尊敬されていた「記者」という呼称に統一することによって、職業的地位を上げたかったという意図があったのではないでしょうか。

 

◆「探訪者」的要素の強い現在の記者◆

新聞社の求める人材についての話に戻りますが、現在、新聞社が記者として求める人物像は「探訪者」的要素が強いです。「記者」的要素は企業内で十分鍛えられると考えているのでしょう。

 

逆に言えば、取材力は個人の資質にゆだねている部分が多いということです。僕は、主にそこに着目した研究をしたいと考えています。

 

例えば、新聞社が考える「好奇心」「行動力」「コミュニケーション」という資質はどんな成果に、どう結び付いているのか。これらを因子とした分析ができれば、面白いなと思います。

 

しめ縄を面白いと思ったら、良い記事が書けるのかなぁ、うーん。難しい……。

 

 【ジャーナリズム人材育成論】

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