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人材育成の観点から「経営」「教育」「メディア」について考えます。

記事の上達プロセスは、料理の上達プロセスと似ている!?

◆「ライティングマシーン」になって思った◆

 

今日からあなたは記者です。さぁ、明日載る記事を書いてください!

 

と言われたらどうしますか?

 

そもそも何書いているのかよくわからない記事もあるし、何がニュースになるのかもわからないし、そもそもニュースばりゅーって何?

 

そんなふうに思う人もいるかもしれません。

 

新人記者は、少なからずこのような戸惑いの状態からスタートします。

 

 

記者のイメージって、昔から本をよく読んでいて、社会問題に興味があって、「昔から文章うまかったんでしょう」と思っている人もいるかもしれません。

 

しかし、実際はそうではありません。かくいう私は、高校時代まで部活に明け暮れ、本なんてまともに読んでいなかったし、夏休みの宿題だった作文も本をそのまま写しているようなバカ学生の典型でした。大学では、文章よりも映像に興味があったので、記者になるまで本格的な文章を記者に書いてきませんでした。

 

記者時代は、ずいぶんしごかれました。昼夜、場所問わず、ひたすら原稿と向き合う「ライティングマシーン」でした。そういう状況の中で、入社3年目くらいで、ふと思ったのです。

 

「記者がまともな記事をかけるプロセスって、料理ができるようになるプロセスと似ているんじゃないか」。

 

 

◆料理のプロセスから見る記事上達の段階◆

理論として確立されているものではなく、あくまで個人的な感覚ですが、段階別に見ていきます。

 

 

①レシピを見て具材を探して料理を作る

まず記者になって原稿を書けと言われても、どうやって書いたらいいのかわかりません。そういう時は、取材に行く前に、類似の内容の過去記事を片っ端から引っ張ります。いわゆるレシピです。まず、過去記事を見て、取材で最低限どういう情報を聞いてくればよいのか、記事を構成している情報の要素を分解して、リストアップするのです。

 

②レシピを見ずに具材を探して料理を作る

過去記事をみて、必要な情報を把握して、取材して原稿を書くということを繰り返していると、だんだん記事で必要な情報が何なのかがわかってきて、頭で原稿が作れるようになります。つまり、レシピを見ずに料理が作れるようになる感覚です。

 

③料理に自分なりのスパイスを加える

ほとんど何もみないで、それなりの記事が書けるようになれば、味わいを出したいという欲望にかられます。取材で聞いてきた情報の中で、どこに面白みがあるのか、核心的な部分はどこなのかを探り当てようとします。この段階では、頭で余裕を持って原稿が描けるような状態になっています。「短い原稿だけど、この一言は、記事の深みを出すな」、「この一文は文章が締まるな」などというスパイスが入れられないかを、こだわって書くようになります。

 

④残り物だけで料理を作る

取材をしていると、必要な情報はわかっているけど、その情報が取れないということがあります。そういう場合は、集めることができた情報だけで、記事として成り立つように書きます。寄せ集めの具材で料理を作るということに似ています。

 

⑤残り物で“おいしい”料理を作る

記者の世界では「こする」や「ふくらませる」といいますが、ほとんど情報がないのに、ニュースバリューを模索して書くという技術があります。「平成以降最大」「県内初」などと、あらゆる視点から情報を捉え直し、読者を引きつけるのです。料理名人が「家庭にある具材でも、作り方を変えると、高級スープが作れます」と言っているような感じです。

 

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このように、個人差こそあれ、誰しも料理ができるようになるのと同様に、記事も一定のレベルは書けるようになります。しかも、どんどん書くスピードが速まっていきます。取材をしながら頭で原稿を描き、パソコンに向かうときには原稿がほとんど固まっているからです。

 

ただし、これはあくまで、私が新人時代に一定の記事が書けるようになったと、実感したころまでの話です。

 

記事を書くにあたって、核心に迫れているのか、論点はぶれていないのか、面白みはどこか、読み手の感情を揺さぶることができるのか、など考える事は多分にあります。「おいしい料理」の唯一絶対の答えはないように思います。

 

そういう意味で、私は、まだまだ記事作成の深みの部分まで到達できていなかったのかもしれません。

 

熟練のデスクらが、原稿の締め切りギリギリまで「あーだ、こーだ」と言いながら、腕を組んで、頭をひねっている姿を思い出します。文章を書くって、それほど奥深いものなのかもしれません。

 

今日は、どうやって記事が書けるようになるのかということに、焦点を当てました。でも、実は記者が工夫できるのは、記事を書く時よりも、取材をする時にあるのではないかと思っています。それはまた次の機会に。

 

お元気で。