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人材育成の観点から「経営」「教育」「メディア」について考えます。

2018年回顧

だいぶご無沙汰のブログになってしまいました。今年はひらすら仕事で書く仕事に恵まれ、なかなか更新できない日々が続きました。

平成の終わりが決まり、次の時代への移行を前にする2018年。私個人も大きな変化の年となりました。この1年の振り返りと今考えていることは残しておくべきだと思い、このブログにしたためたいと思います。

2018年は、自分の未熟さが露呈して反省ばかりでしたが、振り返ってみると結果だけはどうにか残した年でした。

順に見ていきたいと思います。

 

1.論文が学会誌に載った

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原著論文(http://www.ssi.or.jp/journal/pdf/Vol7No1_3.pdf

地味に私にとってはこの1年で最も大きな成果です。修士論文15万字を2万字にまでグッと絞り、粘りに粘りに抜いて、書いては消し、書いては消し…、かれこれ15回以上は書き直しました。論文にも根性は必要のようです。

 

日本においては、優れた記者の取材力や組織内での立ち振る舞いなどを実証的に研究したものは、ほとんどありません。調査報道は難易度が高いけれども、社会的貢献度がずば抜けて高く、根気と実力を要します。記者の誰しもが実践してみたい報道形態の一つです。

 

スター記者がどのように情報と向き合い、裏どりをし、いかに組織内で記事化を成立させているのか。これを少しずつ明らかにしていくのは、記者の育成の観点から見てもとても意義のあることです。

 

今回の論文は本当に初めの一歩ではありますが、学術界においてこのテーマで研究の意義を認めてもらえたというのは、私にとっては大きな一歩です。今年は博士課程に進学しましたので、さらなる飛躍を目指します。

来年からは、もう少し調査報道研究の成果をブログなどで発信していこうと思います!

 


2.人前でたくさん話した

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ベトナムの新聞社のジャーナリスト研修

今年の初め頃は、人前で話す経験はほぼ皆無の状態でした。今年は、場づくりや人前で話す経験値を高めようと思っていました。

 

3月には、記者職の内定者を集めて、理論と実践のワークショップを行いました(

ワークショップを実践!新人記者が活躍するために必要な「学び」とは!? - TSUJI-LAB.net

)。これまでの経験と研究を元に、明日から活用できる知見を整理してレクチャーしつつ、皆さんでこれからどう熟達していくのかということを考えてもらいました。横のつながりもできたようで、かなり好評でした。来年もやろうと思っています。

 

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武蔵野大学グローバル学部 日本研究(政治・社会)

4月からは、武蔵野大学グローバル学部にて非常勤講師として毎週2コマ担当させてもらいました。政治や社会をテーマにアカデミックライティングを指導していますが、可能な限りアクティブラーニングの要素を入れつつ、ニュースなどを題材にロジカル思考を鍛えてもらっています。通年で毎週2コマやっていましたので、60回くらいは授業したと思います。だんだん余裕が出てきて、いろんなことを試行錯誤できるようになってきました。


企業研修も行いました。ベトナムのジャーナリスト約20人に日本のジャーナリズムのデジタル化の動向をレクチャーしつつ、皆さんに明日からできることを考えてもらいました。かなり直球の質問が来るので、それをきちんと歴史的、制度的な背景を踏まえて説明するというのは、頭の整理にもなり、私自身も勉強になりました。喜んでもらえたようでよかったです。


組織開発の実践も行いました。小学校に介入し、職場の働き方の改善を促すためのサーベイフィードバック、ワークショップなどを行いながら、職場の先生方の思いを汲み取り、自主的な改善案を出してもらえるようにサポートしました。組織を変えていくのは簡単なことではありませんが、きちんと実情を踏まえて寄り添いながら改善を促していくプロセスはとても勉強になりました。

 


3.「スタディ通信」創刊

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公益社団法人「チャンス・フォー・チルドレン」のオウンドメディア「スタディ通信」(スタディ通信 by Chance for Children | 「学ぶ」を深掘るウェブマガジン)の創刊に企画段階から携わりました。ウェブメディアというジャンルでは初経験のことが多く、かなり悩みながら進めてきました。11月に無事にローンチでき、記事も少しずつ配信しています。

コンセプトは学びを深掘るウェブマガジン。多様な学びを認める社会にしたい。学びから疎外されている人々、新しい学びを実践している人々、「学び」をテーマにさまざまな人や事に光を当てたいと思っています。

編集の前提にあるのは「映画のような記事」。今は情報が溢れ、毎日記事が流れていく時代、ウェブメディア乱立期であります。そんな中で、読み応えがあっていつ読んでも考えさせられる「ストック」型の記事の発信を目指しています。

いつも読者に助けらている。これは新聞であろうとウェブであろうと変わらないことだなと最近感じます。

 


4.「働き方改革」書籍の出版が決まり、もうすぐ刊行

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横浜市教育委員会東京大学中原淳研究室 共同研究(平成 29 年度) ~教員の「働き方」や「意識」に関する質問紙調査の結果から~の一部引用

研究室のプロジェクトで、横浜市教育委員会と共同で学校教師の働き方に関する調査を行っています。分析を担当していますが、なかなか興味深いデータが出ています。

研修や報告会などでフィードバックをしていますが、それだけではどうしても時間の制約があり、全てをお伝えできないため、また全国の先生にも参考にしてもらえるよう、書籍にすることとなりました。

毎日新聞出版からの刊行が決まり、今まさに佳境。編集者とやりとりしながら、今年度中には出版できるように原稿と向き合っています。

 

5. 東大から立教へ 組織人から独立

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立教大学のキャンパスとクリスマスツリー

全てのことに関わる自身のキャリアのことですが、東大から立教へ大学院の所属が変わりました。いろんなところに、いろんな自分がいる。いくつも帰る場所があるというのはとても楽しいことだなと思っています。今の学習環境はよく、論文も1年目で1本通せたというのはよかったと思っています。しかし、一方でさらに研究者として知的体力を身につけなければと危機感も抱いています。

大学院も博士課程に進学したタイミングで、独立をしました。本当に多くの人に助けられて、今までやってこられたと実感しています。「最近、どうやって食べているの?」とよく聞かれます。笑 一言で言えないんですよね。いろんな人にいろんな形で声をかけていただいて、お仕事をもらっているとしか言えないです。

フリーランスは、時間が自由で悠々自適だと感じている人もいるかもしれませんが、むしろかなり自己管理できる人でないと、仕事と休みの境目がとても曖昧になります。最初は本当に土日もずっと仕事をしていて、会社員の頃の方が随分楽でした。

今もうまくやっているとは言い難いですが、少しバランスをとれる感じなってきました。常に新しい人とお仕事をするため、様々な業界の文脈で言葉を使うように注意しないと、ディスコミュニケーションを招くこともあります。まだまだ勉強の日々ですが、一歩ずつ成長していければと思っています。


◆◆◆

怒涛の2018年回顧をかいつまんで書いてみました。思い返せば、いろいろやってきたなぁと思います。振り返るのは大事ですね。2019年の目標はもう考えていますが、また別の機会に書けたらと思います。

今年1年、大変お世話になりました。良いお年をお迎えください。来年もどうぞよろしくお願いいたします!


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部活にスパルタ教育は必要か

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確か6月初旬だったと思う。その日は朝からどんよりとした雲が太陽の光を遮っていた。僕は部室で練習着に着替えながら、同級生の彼が制服のままぐっと思いつめた表情で下を見つめていたのを、横目で見ていた。

 

少し小柄な2つ上の先輩が「おーい、辞めるなら今のうちやぞー」と言った。その瞬間、彼は練習着に着替えぬまま部室から飛び出して行った。

 

この日の朝練で、一気に10人近くが部を辞めた。

 

高校1年の頃の話だ。当時、私は名門高校のサッカー部に所属していた。

 

私の高校時代は、スポーツの現場に「科学」と「精神論」が混在する端境期にあったと思う。

 

水は常にグランドの脇に置いてあったし、スポーツトレーナーもいた。栄養士を呼んで食事についての勉強会もあった。

 

一方で、倒れた人間を引きずってまで全員で走ったり、なぜか「手」でボールを奪い合う練習があり、白のシャツが血で真っ赤に染まる選手がいたりした。

 

練習前後のグラウンド整備は絶対に完璧にしないといけない。とんぼをかけていない箇所が数センチあることも許されない。小石はバケツいっぱいに拾う。水たまりをスポンジで吸い取る作業をサボっているのが監督にバレて、着ていたシャツで水を吸い取っては溝に行ってしぼるということをさせられていた選手もいた。

 

毎年ゴールデンウィークは、1日中練習をする「2部練習」が慣例だった。1年生をふるい落とすいわゆる「しごき」の練習だった。紅白戦をすれば負けチームはダッシュ、その後もタイムトライヤルの持久走、練習終わりにクーパー走、サーキットトレーニング。

 

何とか乗り切り、家に帰ってから銭湯に行って湯船につかりながら、「あー、心臓が動いている」としみじみ思ったことを覚えている。

 

スポーツの世界は、暗黙的に実力でお互いを天秤にかけている。それがそのままヒエラルキーにつながることが多い。雑誌に乗るようなスーパースター選手は、学年が下でもある程度は人権がある。一方で、下手な選手は部室でなかなか自分の席すらも与えられない。

 

たまに、たちの悪い先輩がいて、「おまえとおまえ、そしておまえは辞めさせるから」と何の権限もないのに、目をつけられて嫌がらせをしてくることもあった。

 

「死のう」なんてことはよっぽどでないと思わないだろうが、精神的にも体力的にも相当追い詰められることは否めない。

 

そして入学してから約2ヶ月。私と同じように先輩に目をつけられていた同級生が辞めた。

 

最初は一学年で40人ほどいた部員が、卒業する頃には16人になっていた。

 

たまに今でも当時のサッカー部のメンバーと会うことがある。修羅場をくぐり抜けたチームメートとは、しばらく会っていなくても一瞬で打ち解け合える。昔の「しごき」トークは笑い話となり、美談に変わっていく。

 

私もこの辛い3年間を乗りきったこと、ともに戦った仲間が誇りだし、人生哲学の原点にもなっているーー。

 

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今、部活動のあり方の議論が盛んになっている。学校教員の働き方、日大のアメフト部の事件などによって、社会的議論の俎上に載せられている。

 

果たして、部活におけるスパルタ教育は必要か。

 

スパルタの定義が難しいけれど、一つのことにとことん、とことんこだわり続けて、仲間、そして自分と対話を繰り返す活動はかけがえのない経験になる。そういう意味で、自らを厳しく律する環境は有益かもしれない。

 

しかし、理不尽なことを言われたり、限度を超えた「しごき」をされることは本当に必要なのか。思考停止するほどに、精神的にも体力的にも極限まで追い詰める部活動は必要なのか。私は賛同しない。

 

今テレビなどで、荒っぽい言葉遣いをする部活動の顧問と、穏やかな語り口で選手と接する部活動の顧問を対比して報じているのを見かけるが、本質的にはそこではないと思う。

 

部活動を通じて何を教育したいのか。そして、選手が何を感じ、どういう思考プロセスを展開し、どう行動に移しているか。それらに、合理的な論拠と指導法が存在しうるのか。それが最も重要なのではないか。

  

スポーツの世界で指導者側に立つ人間は、得てしてスポーツで成功してきた人が多い。だから、必然とこれまでの旧態依然とした教育を受けて成功した人の声が大きくなる。自らの経験を否定するような発言は心理的に抵抗があるゆえに、スパルタの是非を根本から見直すことにつながりにくい。

 

一方で、途中で挫折した人の声は明るみになることはない。部活動を途中で辞めてしまった人がメディアで発言しているのを私は見たことがない。もっとこれまでのスパルタ的部活動の「負」の側面に光をあてるべきだ。

 

私は部活動のスパルタによって成長したのではなく、サッカーというスポーツを通じて、くどいほどに自らと対話した経験が生きている。

 

「自分はおそらくもうレギュラーにはなれず、華やかな舞台には立てない。どうする?」

 

「パスが10センチずれてしまう。どうしたら精度の高いパスを出し続けられるだろうか?」

 

「仲間が辛そうだ。どう声をかける?」

 

 

仮に理不尽や暴力などによってしか、選手たちに対話を促せないようであれば、指導者としては明らかに勉強不足だ。そして、勉強不足は、勉強する時間がないほど過密な日程で練習をしていることに起因しているようにも思える。

 

「先生たちは情熱を持って、生活の大半を費やして部員たちと向き合ってくれている」。

 

教育にかける先生たちの情熱は、これからの日本の未来を築き上げるために必要不可欠なものである。私もたくさんの「情熱」に育ててもらった。

 

ただ、ひたすら部員と過ごすことに時間をかける以外に、先生が常に学び続けて変容していくことも、また情熱なのではないかと思う。

 

指導者は選手たちに「変われ」と言う。一方で指導者は変われているのか。

 

私は、じっとうつむき、部室を飛び出して行った同級生の姿が忘れられない。

 

 

 

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質の高い情報を効率よく引き出す方法は「ラリーの緩急」!?

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◆取材先との言葉のラリー

最近は、マスコミに内定している学生さんと一緒に取材することがあります。そこで面白いのは、自分の技能が映し鏡になって見えるということです。

 

僕が社会人になってから培った技能が、彼らとの比較によって浮かび上がってきます。学生さんたちができないと言いたいのではなく(むしろ私の方が学生時代はもっとできなかった汗)、新人から熟達していくまでに、育成の視点から何を培うべきかが見えてくるという意味で大変貴重な経験をさせてもらっています。

 

取材を終えると、だいたいメシに連れて行って、振り返り会をするのですが、ここで私がやっていること、意識していることを言語化して伝えます。

 

最近気づいたことは、取材先との言葉のラリーについてです。

 

◆取材の実践方法

多くの学生は、取材をしている相手と、ずっと一定のペースで言葉のラリーをします。一問一答のような形式です。相手が打ち返してこなくても、そのボールを待つか、打ち返しがあるまで、言葉を送り続けます。

 

構造化インタビューなど、客観性が求められるものであると、そういう手法はありかもしれません。しかし、質の高い情報を取るには、大変効率が悪いです。

 

私は、まずいろいろな角度でさまざまな言葉を投げていきます。相手からどんな打ち返しがあるか、様子を見る段階です。

 

当然、打ち返しが悪い箇所があったり、逆にものすごく速く返ってくる箇所があったりします。それを頭で記憶しておいて、「大体、この人の打ち返しのいいところはここだな」と把握した瞬間、一気にペースを上げます。「高速ラリー」段階に入ります。

 

言葉を変えながら、何度も何度も同じ内容の趣旨の質問をして、深掘っていきます。当然相手も自分のツボを突かれているもんだから、饒舌になるし、ジャラジャラいい情報が出てきます。ここは貪欲に聞ききることが重要です。すると、取材されている本人すらも気づいていないその人の核となる言葉が出てくることもあります。

 

そして、「聞けたな」と思ったら、さっと終わる。

 

ここでさっと切り上げられるのは、最初にいろいろな角度で様子見をしているからです。最初の段階で5W1Hなど、最低限必要なことを聞けているのです。

 

そして取材を終える頃には大体頭の中で原稿ができている。核となる言葉が聞けていれば、見出しも想像できる。新聞記者は、そのスキルを持っているから書くのが速い。

 

ちなみに、打ち返しが悪い箇所を何度当ててもいい情報は出てきません。なぜなら、その質問について相手は情報を持っていないからです。

 

相手が情報を隠していると考えられる場合は別です。それはまた他のテクニックが必要なので、別の機会に。

 

 ◆記者は速く書くのに長けている

先日、ベトナム戦争の機密文書をスクープした「ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書」という映画を観にいきました。

 

ワシントンポスト紙の編集主幹、ベン・ブラッドリー氏が、大量の資料を前にたじろぐ記者たちに数時間で記事を書けと命令します。「ニューヨークタイムズは数ヶ月かけたのですが……」と記者が言うと、ベンはこう返しました。

 

 

「君は小説家か?記者か?」

 

 

いかに時間内で質の高い記事を書くか。新聞記者にはそれが問われています。記者は多忙であることが常なので、取材をいくつも掛け持ちしています。そういう環境下だからこそ、自然と培える力なのかもしれません。

 

ゆっくり時間をかけて取材をすることが重要なものもあります。効率的に情報を引き出すことが全てだとは思いませんが、人から話を聞くときに、「相手の話の核となりそうなものは何か」。それを考えながら、言葉のラリーに緩急をつけてみると、少し変わって見えるものもあるかもしれません。

 

それではお元気で。

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イチロー選手は本当に衰えたのか。「年齢」が生む世間の空気。

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イチロー選手の心身に関するデータに特化した骨のある記事が読みたい

イチロー選手のシアトル・マリナーズへの入団、そして、特別補佐への就任と、サプライズなニュースが飛び交っていますね。

 

さまざま人が、イチロー選手の進退について語っていますが、私がずっとモヤモヤしているというか、知りたいなと思うのは、タイトルのとおり、イチロー選手は本当に衰えたのか、ということです。


イチロー選手の戦績を眺めていると、確かに盗塁数や打率が落ちているのですが、チームの中での立場や役割が変わっていることもあり、これらの数値から何が言えるのかよくわからないところがあります。動体視力の低下なども聞いたことがありますが、その指標は何なのか、いまいちピンとこないというのが素人なりの気持ちです。


特に知りたいのは、

  • どういう点が技術的に落ちてきているのか。それがわかる客観的なデータは何か
  •  現在の技術がメジャーの基準でいえば、何がどこまで満たしていて、何が満たしていない状態なのか
  •  世間の「年齢的に…」という空気が及ぼす心理的な影響はないか

という点です。


ずっとイチロー選手を追い続けてきたジャーナリストや専門家に、読み応えのある記事をぜひ書いてほしいと思います。

 

「年齢から言えば…」や「年齢的に…」というのは、技能が落ちているという事実があって、その要因を推測するときに出てくる言葉であって、年齢だけを強調されても、腹落ちしにくいのが実際のところです。

 

 

◆「もう歳だから」という言葉

「もう歳だから」という言説は、巷でよく聞きますが、これは肉体的な衰えもあるものの、どちらかというとそれ以上に精神的な衰えからきているものでないかなと思う時があります。


「私はもう歳だから、若い辻さんに頑張ってもらって…」

 

職場では、頑張る=パフォーマンスを発揮するという文脈で語られることが多い。

 

しかし、周りを見渡すと、私以外、ほとんど若い人はいない。

 

職場における若い人=がんばる=パフォーマンスを出す
頑張る人:N=1

 

職場における若くない人=がんばらない=パフォーマンスを出さない
頑張らない人:N=50

 

どーするねん!これ。

 

若い人が1人のみとまではいかないものの、こういう年齢構成の職場、増えていないですかね。

 

「若い辻さんには頑張ってもらって」という発言は、「俺、もう疲れたから、真剣に仕事しないよ」と宣言しているように聞こえます。

 

本当に若手の活躍を願うシニアは、こういう発言はしない気がします。さりげなくサポートしながら、活躍の場を与えてくれる。

 

高齢化が進んでいます。定年制の廃止も議論されるようになってきました。モチベーションが下がったシニア社員をどのようにマネジメントしていくかという研究も、注目されています。

 

人生100年時代といわれる時代のなかで、これまで年齢に抱いていた固定観念は、変えていかねばならないのかもしれません。

 

50歳までマネジャーやってから、プレイヤーに戻ったとして、肉体的に衰えがあったとしても、圧倒的な知識量と熟練の技を発揮して、プレイヤーの中でのエースになってもいいんじゃないかと思います。若手とは異なる活躍の仕方があるのではないかと。

 

輝くシニアがいれば、きっと若い人のロールモデルになるはず。

 

輝くシニアがたくさんいれば、若い人は目指すべきキャリアを描けると思います。

 

一方で、輝くシニアがいなければ、若い人は会社にいる将来を見失うかもしれません。

 

 

イチロー選手のこれからがヒントになる

「失敗した時でも、成功した時でも、サヨナラホームラン打った時でも、三振した時でも、何があってもコンスタントにやり続けているイチローさんがいるからこそ4000本という数字があるんじゃないかなっていうふうに思いました」

 

イチロー選手が4000本安打を達成した時、ニューヨークヤンキースチームスタッフ、アレン・ターナーさんが、特集番組で述べた言葉です。

 

僕はこの言葉に感銘を受け、一流の努力というのはそういうことなんだと痛感しました。

 

今回の特別補佐就任時、イチロー選手はインタビューでこう述べました。

 

「僕は野球の、何て言ったら…研究者でいたいというか。自分が今44歳でアスリートとして、この先どうなっていくのかというのを見てみたい」

 

イチロー選手がこれから見つけていく答えは、アスリートだけでなく、同世代の多くの人々にとって、働く上でのヒントになるのかもしれません。


来年、ガンガンに先発出場するイチロー選手が見られることを、僕は心から願っています。

 

それでは、お元気で。

「なぜ新聞を読まなくなったと思う?」の問いに考えること

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大学にいると、メディア関係者からこの問いをよく聞きます。

 

僕自身もなぜ読まれなくなったのかということは常々考えてきました。

 

結論から申し上げると、最近思うのは、「そこにあるもの」ではなくなったからではないかということです。

 

私は忙しい日でなければ、大体、全国紙を全部ざっと目を通します。なぜなら、新聞は読み比べが一番面白いからです。

 

気になるニュースがあれば、そのテーマの記事をじっくり読み比べると、どの社がどこに力を入れていて、どこに強い情報源を持っているかが見えてきます。記者の息づかいが感じられて、面白いです。右や左などの政治思想よりも、よく現場で聞き込みしているなぁとか、捜査関係者と太いパイプを持っているなぁとか、そういうことを記事から読み解く方が好きです。

 

全紙読むのに最も便利なのは、図書館。勤務している大学の昼休みに図書館に行くと、3階に新聞閲覧コーナーがあり、一つの机に1紙広げて見られるようになっていました。

 

ただ、ここには先客がいて、大体同じ人が同じ時間帯に同じ新聞を読んでいることが多く、私は何紙か読んだ後に、学会誌などをぺらぺらしながら、その人たちが読み終わるのを待ちます。結構な時間読んでいるので、熱心な人たちだなぁと思っていました。

 

ある日、図書館のレイアウトが変更されて3階の新聞閲覧コーナーがなくなり、1階入り口近くに新聞ラックが設置されるようになりました。それに伴い、机がなくなりました。

 

これからは、あの熱心な新聞ファンの職員に1階で遭遇することになるなぁと思っていたら、その日からその人たちと全く遭遇しなくなりました。

 

そう、おそらく彼らは、新聞を読みたくて新聞閲覧コーナーにいたのではなく、昼休みに静かな部屋でゆっくりくつろげる居場所がほしくて、新聞閲覧コーナーにいたのです。

 

新聞は何が何でも読もうとするものというよりも、そこにあるから何となくぺらぺら読む。実はそういう人が大半なのではないでしょうか。

 

そう考えると、昔は今よりも、私たちの近くに何となく新聞があった。しかし、今は新聞よりも何となく近くにあるものが出現した。

 

今、電車に乗っていると、多くの人がスマホを眺めています。電車の椅子に腰をかけ、真剣な顔をしてスマホ触っている年配のビジネスパーソン。窓に反射したスマホの画面に映し出されるのは、パズルゲーム、シューティングゲーム格闘ゲーム

 

もはや新聞の競合は、隣の大手紙、ブロック紙、地方紙ではありません。ゲーム会社であり、Youtuberであり、買い物サイトなのかもしれません。

 

みんなのポケットに入っている機械で、お金を払ってでも新聞を読もうとさせられるか、ということなのだと思います。

 

確かに、質の高い記事を出し続けることは重要であることは変わりませんし、マスメディアしかできていない取材はたくさんあります。しかし「なぜ新聞を読まなくなったと思う?」との問いは、記事の質を問う文脈だけで語られがちですが、まずは「そこにあるもの」である必要があるし、そしてゲームよりも見たいと思える仕掛けを、デジタル・アナログで、商品だけでなく、流通、価格、プロモーションの戦略を総合的に考えていかなければなりません。

 

新聞の面白さ、ちゃんと多くの人に届いてますかね?

 

最近、なんとなくそういうことを考えていました。

 

それでは、お元気で。

 

 

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ワークショップを実践!新人記者が活躍するために必要な「学び」とは!?

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 先日、マスコミの内定者を対象に「記者の学びを語り合う 理論と実践のワークショップ」を開催させていただきました。

 

4月からマスメディアへ就職される皆さん、誠におめでとうございます。記者の皆さんの奮闘に、これからの日本の未来がかかっていると言っても過言ではありません。情報の氾濫する時代だからこそ、プロとして良質な情報を生み出していかなければなりません。

 

とはいえ、入社前は、どうやって組織に適応し、活躍していけばいいのか、いまいちわからず、大きな不安を抱えている人が多いよう思います。

 

今回のワークショップはそうした不安を解消し、予期的社会化を狙った初めての試みでした。告知もうまくできなかったように思いますが、それでも、全国紙、ブロック紙、地方紙、テレビの記者職・ディレクター職の内定者約15名が参加してくれました。

 

 

◆ワークショップの内容

プログラムは、「つかみ」ー「理論」ー「演習」ー「レクチャー」を1サイクルとし、主に3テーマで実践しました。ワークは、4ないし5人を1グループとした3つのグループで取り組んでもらいました。

 

テーマ1:個人の学び

・記者の職務意識の醸成と内発的動機づけ

「記者・ディレクターの役割」「どんな記者・ディレクターになりたいか」「どんな記事・番組を作りたいか」を紙に書き出してもらい、記者としての役割意識や信念について、グループで対話をしてもらいました。ここで書いた内容は、参加者自身が記者を志した軸となるもので、改めて語り合うことで、業務へのモチベーションを高めます。

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OJTでの学び方

記者の職場は、OJT(オン・ザ・ジョブトレーニング)が基本と言われますが、正統的周辺参加を行う状況でもなく、ほとんどが計画的ではありません。メンターが振り返りを促進することもあまりないように思います。

 

そこで、経験学習の理論を紹介し、個人による振り返りと概念化の重要性を強調しました。そして、実際に二人一組でインタビューを実践、その後、振り返り、概念化を体験してもらいました。さすが、記者になる参加者はコミュニケーション力が相当高く、ガンガンに質問していました。

 

ここで重要なポイントは、「取材をされる」という経験が得られることです。記者は取材することはあっても、取材されることはない。ここで取材をされる経験を得ることで、取材の受け手側の気持ちを理解して仕事に取り組めます。

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テーマ2:個人と組織の関係

・記者のプロフェッション的意識と組織的制約

記者はプロフェッション(=専門職)の意識が高いと言われています。つまり、組織倫理とジャーナリストとしての倫理の衝突が、時折、個人に内在化し、葛藤をし続ける状態が生まれます。マスメディアの記者は、ジャーナリストであると同時に組織人でもあるので、さまざまな制約を受けながら、社会に資する情報を発信しなければなりません。そこで、いくつかのケーススタディに取り組んでもらいました。

 

例えば、

 

ネタ元からスクープになりそうなネタを教えてもらった。 ネタ元には「まだ報道するのはしばらく待ってくれ」と言われた。デスクに報告すると「抜かれたらどうするんだ、すぐに出せ」と言われた。さぁどうする?

 

リアルですね。笑 参加者からは「あ、ありそうー>_<」というような声がしばしば上がっていました。当然そうです。なぜならお題は、私の経験や、第一線の記者が夜な夜な電話をして語ってくれる悩みを基に作成したからです。笑

参加者は近い将来遭遇する局面ということもあって、かなり活発な議論が交わされていました。

 

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テーマ3:先輩たちの知恵

・敏腕記者たちのインタビュー調査からの示唆

私は、研究を通じて新聞協会賞を受賞した記者や、調査報道の先駆者らに、インタビューをしてきました。そこで得られた知見を「思考」「行動」「その他」と3つのテーマに分けてレクチャーしました。また、私自身の記者経験や文献研究の話も補足し、明日からすぐに使える取材のコツを伝えました。参加者はかなり真剣な眼差しで、ペンを走らせていたのが印象的でした。

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・求められるスキルの整理

最後のまとめとして、参加者自身がこれから必要だと思うスキルをポストイットに書き込んでもらい、模造紙でグルーピングしてもらいました。今、自分の力で、何が足りてなくて、これから何が必要なのかをグループで整理し、頭の中で漠然と抱えている不安を解消してもらいました。

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◆満足度調査

ワークショップ終了後、満足度調査を行いました。「とても満足している」から「まったく満足していない」までの5段階で質問したところ、なんと回答をしてくださった参加者全員が「とても満足している」という結果でした。

 

自由記述回答からは、

  • そもそも、このような学びの場がなかったので、その点で非常に大事なイベントだった。
  • 支局に行ってもアタフタすることなく取材に望めそうで安心した。
  • これから直面しうる状況に対して自分が取りうる行動を知ったことと他にも選択肢があることを知れた。
  • 同期がどんな思いで記者を志すようになったのか、重要なテーマだけれどもなんとなく照れ臭くて話さないようなことを話すことができてよかった。

 

 

など、概ね良い感想をいただいていて、たった1日だったけれども、開催してよかったと思いました。

 

今回、ワークショップを開催してみて思ったのは、記者同士がそもそも論で対話をする場が圧倒的に足りていない、ということです。「もっと対話する時間がほしかった」。そんな声が多かったです。

 

なぜ記者を志したのか、何をする仕事なのか、何を目的としているのか。これは内発的動機づけにつながるもので、入社してからも必要なことだと思います。

 

 

◆咀嚼して伝える

講演会などを通じて、大きな業績を残した記者から話を聞く機会を得ることがあります。大変勉強になりますし、もっと業界の横のつながりが活発化して、学び合う職業集団になればと願っております。

 

その一方で、そういう個々の知恵を「ナマゴエ」として聞くだけではなく、咀嚼して伝えられる人材も必要のように思います。とりわけ新人には咀嚼して伝えないと伝わらないことも多いです。

 

「記者の妙技は一般化できない」と一蹴するのではなく、できるだけ言語化して学習できる教材に形を変えていく。私はそこにとことんこだわりたいと思っています。

 

ニッチで、小さな活動ですが、これからも記者の学びの場を、コツコツ地道に開催していけたらなと思います。

 

ご興味のある方がおられましたら、レジュメ(ダイジェスト版)などをご提供させてもらいます。ご連絡ください。

 

それでは、お元気で。

スクープを出す前夜に思うこと

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◆スクープとは◆

スクープといえば、世間に知られていない注目すべきニュースをいち早くつかみ、大きな見出しを付けて大々的に報じるというイメージがあります。時には、多くのメディアが追いかけて報道し、ウェブだとバズったり、週刊誌だと完売したりと、国や自治体を動かすほどの爆発力を持つこともあります。一時期「文春砲」という言葉も流行りましたね。

 

スクープは、どのようにして生まれるのでしょうか。私の経験や研究からすると、きっかけはさまざまです。情報提供、いわゆるタレコミ、記者の取材の中での違和感、資料の読み込み・・・・・・、あらゆるところにネタは眠っています。

 

マスコミ業界では「端緒」と呼びますが、それをつかむことが最も重要だといわれます。ただし、いくらきっかけをつかんだとしても、報道までこぎつけるには多くの関門が存在し、ここには記者の相当な個人技ないしチームワークが求められます。

 

取材で9割までファクトを積み重ねられても、あとの1割がどうしても詰めることができない。そして、ボツになってしまうネタがほとんどです。

 

そんななかで、苦労してスクープを報じるまでこぎつけ、翌日報道することが決まった前夜、記者たちは何を思うのでしょうか。

 

 

◆初めて知る「怖さ」◆

「他社にはどこにも載っていないってよ。よかったな」。入社して1年半が経った頃、私が初めてスクープと呼べる事件記事を書いたとき、デスクにそう言って肩をたたいてもらった記憶があります。

 

確かに報われる気持ちもあり、嬉しかった記憶があります。しかし、それ以上に迫ってきた感情が「怖さ」でした。

 

大丈夫だろうか、本当に間違っていないだろうか、誰かに迷惑がかからないだろうか、どんな影響が出るのだろうか。

 

当時はこのような気持ちが芽生えるのは予想外で、自分の感情に驚きました。

 

基本的にスクープは、公式な発表に基づいて報じるものではありません。本人、もしくは立場のある人、責任者、客観的な証拠などから裏付けをとり、限りなく100%近い確度をもって報じます。しかし、どこまでいっても、限りなく100%近い形なのです。

 

しかも、スクープを出せば続報を求められるのが常なので、次の展開はどうしよう、明日からどう動こう、取材応じてもらえるかな、などといったことも考えねばなりません。喜びに浸っている余裕はありません。

 

本当に少し気持ちが楽になるのは、一連の報道が終結を迎えて、世の中が少し良い方向に向いたかもしれないと思えた時でした。

 

 

◆爆発力をかみしめて◆

最も大きな影響を持つ報道形態としては調査報道があります。社会に存在する不正や腐敗を独自の取材で暴いていくスタイルの報道です。

 

研究の一環で、調査報道によって新聞協会賞を受賞した記者にインタビューをさせてもらった時の言葉が印象的でした。

 

「手放しで、笑顔で喜べる話でもないですよね」。

 

正義は一つではない。片方の正義を立てれば、もう一方の正義は失脚する。正義と正義の相克の狭間で、記者は常に葛藤に苛まれています。

 

スクープではありませんが、私は記事を出す中で、苦情を受けたこともあります。

 

全然ダメな記事だね、何であんなふうに報じたの、あの記事のせいで迷惑している。

 

直接言葉を浴びせられると、やはり辛いものがあります。

 

しかし、こういう声を受け止め、常に怖さを抱えることはある意味、健全なことなのかもしれません。おごりやプライドで筆を滑らせることがあってはいけません。

 

報じた後の爆発力を知るからこそ、慎重を期す。それが送り手に求められる一つの姿勢であると思います。

 

今回は、スクープ前夜の気持ちを振り返り、送り手が抱く怖さについて考えてみました。

 

SNSで何気なく発信することも、大きな影響を持つことがありますね。誰でも発信できる時代だからこそ、どんな人にも慎重さは、ある程度求められるのではないかと思います。

 

それでは、お元気で。

 

 【ジャーナリズム人材育成論】

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