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人材育成の観点から「経営」「教育」「メディア」について考えます。

ジャーナリズムって何?①

気がつけば半年以上もブログを更新しておりませんでした。

 

文章自体は書いていなかったわけではなく、様々な媒体で書く機会も多く、手が回っていなかった、、、というスーパー言い訳でしかないのですが、そんな状況でした。

 

これまでよりもう少し短い文章でも、最近考えていることを発信していけたらなと思います。

 

最近はタイトルの通りジャーナリズムって何?ってところを起点にして、メディアを取り巻く事象を考えることが多いです。

 

ちょうど1年前、私はあるところから研修を頼まれました。外国のジャーナリストたちが来るから、日本の動向について研修してほしいとのことでした。法律、思想、文化などが異なる人々に、このガラパゴスジャパン!を説明するには、あらゆるものの前提から説明しないといけないため、なかなかハードルが高いなと頭を悩ませていたのですが、それはともかく、その研修担当者に初めて会った時に言われた一言がありました。

 

それがまさに、

 

「ジャーナリズムって何ですか?」

 

でした。

 

お恥ずかしながら、こちらに関する研究をしているにも関わらず、一瞬、軽くボディブローを打たれたかのように「うっ」ってなりました。

 

一瞬、「うっ」てなりつつも、その場で答えられる限りで説明はしました。一応納得はしてもらえた?のかな。

 

このメッシのパスくらい意表を突いてくる問いかけをされた体験からすると、全く門外漢の人にジャーナリズムの概念を明快に説明するのは、実はそんなに簡単なことではないのではないか。

 

どうでしょう。日々、情報発信している方、即答できますかね?

 

概念定義は様々ですが、例えばこのような定義があります。

 

「ジャーナルによって、同時代を恒常的に観察し、そこで何が起こっているのかという事実を探究し、時代と世界がどこに向かおうとしているのかを点検し、それらの結果を公衆に伝え、公衆に判断材料を提供しようとする社会意識、そしてその活動のこと」(花田達朗 2018『ジャーナリズムの実践 第2巻』,彩流社, pp14-15.

 

「主権者に必要な事実・情報を伝えることで、現実に影響を与える報道活動であり、時代に対する批判的言説を含むものである。それは人々の自由と主体性の獲得に資するものである」(根津朝彦 2019『戦後日本ジャーナリズムの思想』, 東京大学出版会, p2.

 

定義の2行目くらいから読むのやめた人、ちょっと待って。

 

 

少し紐解いていきます。

 

 

「ジャーナル」なので、日々の記録なんでしょうね。定期刊行物という意味もありますから、やはり日々のことを発信するという意味合いがありそうです。さらに、「主権者に必要な」や「公衆」って言葉が出てきているので、「今日、俺は朝から食パンを食った!」っていうのをパブリックに発信しても「あっそう」で終わるわけで、やっぱりみんなに関係のあることが発信される必要がありそうです。

 

みんなに関係があること。それは私たち全員の生命、自由、財産に関わること、つまり私たちの権利を束縛する国や大企業など強大なパワーを持つところに関係する話が主になってきそうですね。「首相がこんなこと話しています」、「国が新しい法律を作りました」といったことは、多かれ少なかれ私たちの生命、自由、財産に関わってくるので、発信されているのですね。

 

しかも「批判的言説を含むもの」とあるので、単に「政治家がこんなことを話しました」だけではなくて「こんなクソみたいなことやってまっせ」「社会でこんな不条理なことが起こってまっせ」もありだということです。ありというか、あえて概念定義に入れられているくらいなので、めっちゃ大事なのかもですね。それ以外にも大きな事件、事故、災害も私たちの暮らしに大きく影響を与えるので、発信する必要があるとされているのでしょう。

 

そして、それらの発信内容を見て、みんなでこれからどんな社会にしたいのか、どんな未来を描くのか「判断材料」にしてもらおうとする「意識」であったり「活動」であったりするということみたいです。journalismの最後が「ism」なので、ナショナリズムとか、エコツーリズムとかと一緒で、主義や意識といった「形のないもの」であるといえそうです。

 

ですから、

 

ジャーナリズム=マスコミでもないし、ジャーナリズム=インターネットでもない。

 

ジャーナリズムは、私たちにとって生きる上で大切な意識であり、誰のものでもなく私たち市民のものであるということだと思います。

 

しかしながら、そういう意識を持っている人、そんなに多くはないのではないでしょうか。特に日本においては。

 

こうしたことを考えつつ、今のメディアを取り巻く環境や歴史を振り返ってみると、色々と見えてくるものがあります。

 

お、意外に長くなった。今日はこのへんで。

 

それではお元気で。

 

 

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新刊「データから考える 教師の働き方入門」を出版!この本に込めた思い

みなさん、こんにちは。辻和洋です。


この度、『データから考える 教師の働き方入門』を出版することとなりました!

 

2月28日には全国の書店に並ぶ予定ですが、楽天ブックスamazonでは既に予約が開始されています。

データから考える教師の働き方入門

データから考える教師の働き方入門

 

 

毎日新聞出版さんにお声がけいただいてから、足かけ1年。長い執筆の旅でした。

 

監修者であり、指導教官でもある中原淳先生にアドバイスをいただきながら、もう一人の編著者である立教大学助教の町支大祐さん(写真で赤く囲んだ方。元中学校教師)と毎週ミーティングを重ね、データの分析と執筆方針の議論を繰り返して来ました。

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本書は横浜市教育委員会中原淳研究室の共同研究「教員の働き方や意識に関する質問紙調査」によるデータを元にしています。共同研究プロジェクトチームの皆さんをはじめ、たくさんの方々の支えがあって、出版までの道のりを走り切ることができました。どうもありがとうございました!

ここでは、本書の内容とそこに込めた思いをご紹介させていただきます。

  

◼️データが盛りだくさんの1冊

本書は、序章と1〜5章で構成されています。

序章  「忙しい先生」たちの毎日

第1章 なぜ今働き方を考えるのか

第2章 数字で描く教員のリアル

第3章 データから考える働き方改善

第4章 働き方を見直すアイデアとポイント

第5章 対談〜現場から見た教員の働き方〜

 

本書の売りはデータです。小中学校の先生たち約500名に回答していただいた調査データを元に、働き方の実態とその裏に潜む意識や職場の状況を分析しています。

一部の専門家が読み解くような難しい分析はほとんどなく、誰が見てもぱっとみて実態がわかるよう、グラフなどを作成しています。

学校現場で何となく感じていたこと、あまり言葉に出せなかったことなども含めて、先生個人や職場の状況を数値として表わしています。ここまで様々な職場の状況をデータとともに解説している書籍はおそらくないだろうと思います。

 

・働き方を改善したいけど、どうしていいかわからない先生

働き方改革についてモヤモヤしている先生

・教師を目指していて、働き方を考えたい方

・先生の働き方について知りたい方

 

に読んでいただけるよう、構成しております。

 

これらのデータを元に、職場での働き方について振り返り、議論していただければと思っています。

 

  ◼️本書のデータ(一例)

分析からは「教師」という職業ならではの結果がたくさん出てきました。本書では、それらをタイプ分けし、体系化しています。ここでは分析結果の一例を紹介します。

 

例えば、下記の図は「時間外業務」、いわゆる一般企業で言う「残業」に対する意識です。学校の先生は、時間外業務の削減をするのに、実は罪悪感やためらいを感じている人が全体で36.6%いるということがわかりました。

 

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新刊『データで考える 教師の働き方入門』(毎日新聞出版)より

 

つまり、3人1人は、遅くまで働いていないと、子どもたちや保護者に「申し訳ないな」という罪悪感を抱えてしまうのです。

さらに、この罪悪感について、在校時間の長い先生(高群)、中程度の先生(中群)、比較的短い先生(低群)の3グループに分けて分析してみました。

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新刊『データで考える 教師の働き方入門』(毎日新聞出版)より

すると、長く働いている先生のグループほど、罪悪感を抱いている割合が高まっていくということがわかりました。

こうした先生の潜在的な罪悪感の意識が、長時間労働に結びついている可能性があるといえます。

それは、子どもたちにできるだけ時間をかけて教育をしたいという熱意とも読み取れます。 働き方の改善を進めていく上では、このような先生の意識を理解していかなければ、本質的な解決は難しいのではと思います。

本書では、先生の全体的な働き方の傾向や、長時間労働の先生や職場の特徴を描いているほか、働き方の改善に向けての考え方も提示しています。さまざまな観点からデータを抽出し、解説しているのが特徴です。

 

◼️ストーリーも編む

本書は、データばかりをひたすらに羅列した本ではありません。データは全体的な傾向をつかんだり、客観的な数字に基づいて考えたりするには、とても役立ちます。

一方で、現場の所作は細部に宿ります。データではすくいきれない先生方の細やかな行動や思いも見ていく必要があると考えました。そこで大切にしてきたのが観察とインタビューです。

現場を知ろうと言うことで、朝7時に学校へ訪問し、夜8時頃まで1日中、先生の働き方を観察させてもらったこともありました。

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また、教育委員会の方々と中原先生と町支さんでさまざまな学校へ訪問させてもらい、一人につき10〜30分、先生たちの思いを聞かせてもらいました。おそらく計50人くらいにはなったかと思います。

 

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忙しい合間を縫って実情を話してくださった先生には心より感謝申し上げます。本書では、データとともにこうしたインタビューの声を随所に記させていただいています。

 

また、序章では、先生の働く様子を描いたストーリーを載せています。こうした先生の日常を、自分と重ね合わせ、自己の働き方を振り返ってもらえればと思います。

 

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新刊『データで考える 教師の働き方入門』(毎日新聞出版)より

 

◼️聞きたいことが語られている「対談」

最終章では、学校現場で積極的に働き方について考え、発信をされている先生と中原先生の対談を記しています。

 

中原先生とご対談いただいた先生は、

岩瀬直樹先生(一般財団法人 「軽井沢風越学園設立準備財団」副理事長 )

杉本直樹先生(大阪市立上町中学校国語科教諭)

住田昌治先生(横浜市立日枝小学校校長)

です。

日々の働き方、部活動のこと、管理職としての振る舞い・・・。現場で日々試行錯誤されている先生方の語りは、まさに「痒いところに手が届く内容」です。今一番聞きたいテーマをお話いただいています。

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また、特別対談として、横浜市教育委員会の課長お二人に教育行政の視点から働き方改革について語っていただきました。行政サイドの率直なお話もとても貴重なのではと思います。

本書では、ほかにも働き方改善のアイデア実践事例集なども掲載しています。ストーリー、データ、アイデア、対談と、質量ともにあますことなく働き方にまつわる知見を、1冊に詰め込んでいます。

 

 ◼️実態なき改革にはしたくない

思い返せば、私たちは机の上でひたすら数値を追って来たというよりは、現場と研究室を往復するという日々でした。データを分析し、学校へ出向いて先生と一緒に考える。そして、また分析して・・・の繰り返しでした。

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 そこには、現場の先生方が置き去りになるような、実態なき改革には、決してしたくないというプロジェクトチームの思いがあります。

 

研修やワークショップという形で調査結果を現場へお返ししてきましたが、時間に限りがあるなかで、全てを体系的にお伝えするのはなかなか難しいということがありました。

 

そのなかで、多くの人々とともに先生たちの働き方について考えたいと思い、書籍化に至りました。

 

私は1年かけて100項目以上のデータを分析して来ましたが、データは単なる数字ではありませんでした。先生たちの子どもへの思いが詰まったメッセージでした。コツコツと結果を集計し、分析を進める中で、目頭が熱くなることが何度もありました。

 

先生たちの先には、子どもたちがいます。子どもたちはこれからの日本を担います。

 

先生の働き方を考えることは、これからの日本を考えることにもつながる。そう思って、私はこのプロジェクトに取り組んでいます。

 

もし、ご興味のある方がおられましたら、この本を手に取っていただければ嬉しいです。

データから考える教師の働き方入門

データから考える教師の働き方入門

 

 

 

 

それでは、お元気で。

 

ーーー

※このプロジェクトには、これまで多くの皆さんが関わってくださっています。横浜市教育委員会・教職員育成課の立田順一さん、柳澤尚利さん、外山英理さん、松原雅俊さん、根本勝弘さん、飯島靖敬さん、野口久美子さん。大学は、中原淳先生をはじめ、町支大祐さん、飯村春薫さん、いつも本当にありがとうございます!

 

 

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2018年回顧

だいぶご無沙汰のブログになってしまいました。今年はひらすら仕事で書く仕事に恵まれ、なかなか更新できない日々が続きました。

平成の終わりが決まり、次の時代への移行を前にする2018年。私個人も大きな変化の年となりました。この1年の振り返りと今考えていることは残しておくべきだと思い、このブログにしたためたいと思います。

2018年は、自分の未熟さが露呈して反省ばかりでしたが、振り返ってみると結果だけはどうにか残した年でした。

順に見ていきたいと思います。

 

1.論文が学会誌に載った

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原著論文(http://www.ssi.or.jp/journal/pdf/Vol7No1_3.pdf

地味に私にとってはこの1年で最も大きな成果です。修士論文15万字を2万字にまでグッと絞り、粘りに粘りに抜いて、書いては消し、書いては消し…、かれこれ15回以上は書き直しました。論文にも根性は必要のようです。

 

日本においては、優れた記者の取材力や組織内での立ち振る舞いなどを実証的に研究したものは、ほとんどありません。調査報道は難易度が高いけれども、社会的貢献度がずば抜けて高く、根気と実力を要します。記者の誰しもが実践してみたい報道形態の一つです。

 

スター記者がどのように情報と向き合い、裏どりをし、いかに組織内で記事化を成立させているのか。これを少しずつ明らかにしていくのは、記者の育成の観点から見てもとても意義のあることです。

 

今回の論文は本当に初めの一歩ではありますが、学術界においてこのテーマで研究の意義を認めてもらえたというのは、私にとっては大きな一歩です。今年は博士課程に進学しましたので、さらなる飛躍を目指します。

来年からは、もう少し調査報道研究の成果をブログなどで発信していこうと思います!

 


2.人前でたくさん話した

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ベトナムの新聞社のジャーナリスト研修

今年の初め頃は、人前で話す経験はほぼ皆無の状態でした。今年は、場づくりや人前で話す経験値を高めようと思っていました。

 

3月には、記者職の内定者を集めて、理論と実践のワークショップを行いました(

ワークショップを実践!新人記者が活躍するために必要な「学び」とは!? - TSUJI-LAB.net

)。これまでの経験と研究を元に、明日から活用できる知見を整理してレクチャーしつつ、皆さんでこれからどう熟達していくのかということを考えてもらいました。横のつながりもできたようで、かなり好評でした。来年もやろうと思っています。

 

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武蔵野大学グローバル学部 日本研究(政治・社会)

4月からは、武蔵野大学グローバル学部にて非常勤講師として毎週2コマ担当させてもらいました。政治や社会をテーマにアカデミックライティングを指導していますが、可能な限りアクティブラーニングの要素を入れつつ、ニュースなどを題材にロジカル思考を鍛えてもらっています。通年で毎週2コマやっていましたので、60回くらいは授業したと思います。だんだん余裕が出てきて、いろんなことを試行錯誤できるようになってきました。


企業研修も行いました。ベトナムのジャーナリスト約20人に日本のジャーナリズムのデジタル化の動向をレクチャーしつつ、皆さんに明日からできることを考えてもらいました。かなり直球の質問が来るので、それをきちんと歴史的、制度的な背景を踏まえて説明するというのは、頭の整理にもなり、私自身も勉強になりました。喜んでもらえたようでよかったです。


組織開発の実践も行いました。小学校に介入し、職場の働き方の改善を促すためのサーベイフィードバック、ワークショップなどを行いながら、職場の先生方の思いを汲み取り、自主的な改善案を出してもらえるようにサポートしました。組織を変えていくのは簡単なことではありませんが、きちんと実情を踏まえて寄り添いながら改善を促していくプロセスはとても勉強になりました。

 


3.「スタディ通信」創刊

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公益社団法人「チャンス・フォー・チルドレン」のオウンドメディア「スタディ通信」(スタディ通信 by Chance for Children | 「学ぶ」を深掘るウェブマガジン)の創刊に企画段階から携わりました。ウェブメディアというジャンルでは初経験のことが多く、かなり悩みながら進めてきました。11月に無事にローンチでき、記事も少しずつ配信しています。

コンセプトは学びを深掘るウェブマガジン。多様な学びを認める社会にしたい。学びから疎外されている人々、新しい学びを実践している人々、「学び」をテーマにさまざまな人や事に光を当てたいと思っています。

編集の前提にあるのは「映画のような記事」。今は情報が溢れ、毎日記事が流れていく時代、ウェブメディア乱立期であります。そんな中で、読み応えがあっていつ読んでも考えさせられる「ストック」型の記事の発信を目指しています。

いつも読者に助けらている。これは新聞であろうとウェブであろうと変わらないことだなと最近感じます。

 


4.「働き方改革」書籍の出版が決まり、もうすぐ刊行

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横浜市教育委員会東京大学中原淳研究室 共同研究(平成 29 年度) ~教員の「働き方」や「意識」に関する質問紙調査の結果から~の一部引用

研究室のプロジェクトで、横浜市教育委員会と共同で学校教師の働き方に関する調査を行っています。分析を担当していますが、なかなか興味深いデータが出ています。

研修や報告会などでフィードバックをしていますが、それだけではどうしても時間の制約があり、全てをお伝えできないため、また全国の先生にも参考にしてもらえるよう、書籍にすることとなりました。

毎日新聞出版からの刊行が決まり、今まさに佳境。編集者とやりとりしながら、今年度中には出版できるように原稿と向き合っています。

 

5. 東大から立教へ 組織人から独立

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立教大学のキャンパスとクリスマスツリー

全てのことに関わる自身のキャリアのことですが、東大から立教へ大学院の所属が変わりました。いろんなところに、いろんな自分がいる。いくつも帰る場所があるというのはとても楽しいことだなと思っています。今の学習環境はよく、論文も1年目で1本通せたというのはよかったと思っています。しかし、一方でさらに研究者として知的体力を身につけなければと危機感も抱いています。

大学院も博士課程に進学したタイミングで、独立をしました。本当に多くの人に助けられて、今までやってこられたと実感しています。「最近、どうやって食べているの?」とよく聞かれます。笑 一言で言えないんですよね。いろんな人にいろんな形で声をかけていただいて、お仕事をもらっているとしか言えないです。

フリーランスは、時間が自由で悠々自適だと感じている人もいるかもしれませんが、むしろかなり自己管理できる人でないと、仕事と休みの境目がとても曖昧になります。最初は本当に土日もずっと仕事をしていて、会社員の頃の方が随分楽でした。

今もうまくやっているとは言い難いですが、少しバランスをとれる感じなってきました。常に新しい人とお仕事をするため、様々な業界の文脈で言葉を使うように注意しないと、ディスコミュニケーションを招くこともあります。まだまだ勉強の日々ですが、一歩ずつ成長していければと思っています。


◆◆◆

怒涛の2018年回顧をかいつまんで書いてみました。思い返せば、いろいろやってきたなぁと思います。振り返るのは大事ですね。2019年の目標はもう考えていますが、また別の機会に書けたらと思います。

今年1年、大変お世話になりました。良いお年をお迎えください。来年もどうぞよろしくお願いいたします!


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部活にスパルタ教育は必要か

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確か6月初旬だったと思う。その日は朝からどんよりとした雲が太陽の光を遮っていた。僕は部室で練習着に着替えながら、同級生の彼が制服のままぐっと思いつめた表情で下を見つめていたのを、横目で見ていた。

 

少し小柄な2つ上の先輩が「おーい、辞めるなら今のうちやぞー」と言った。その瞬間、彼は練習着に着替えぬまま部室から飛び出して行った。

 

この日の朝練で、一気に10人近くが部を辞めた。

 

高校1年の頃の話だ。当時、私は名門高校のサッカー部に所属していた。

 

私の高校時代は、スポーツの現場に「科学」と「精神論」が混在する端境期にあったと思う。

 

水は常にグランドの脇に置いてあったし、スポーツトレーナーもいた。栄養士を呼んで食事についての勉強会もあった。

 

一方で、倒れた人間を引きずってまで全員で走ったり、なぜか「手」でボールを奪い合う練習があり、白のシャツが血で真っ赤に染まる選手がいたりした。

 

練習前後のグラウンド整備は絶対に完璧にしないといけない。とんぼをかけていない箇所が数センチあることも許されない。小石はバケツいっぱいに拾う。水たまりをスポンジで吸い取る作業をサボっているのが監督にバレて、着ていたシャツで水を吸い取っては溝に行ってしぼるということをさせられていた選手もいた。

 

毎年ゴールデンウィークは、1日中練習をする「2部練習」が慣例だった。1年生をふるい落とすいわゆる「しごき」の練習だった。紅白戦をすれば負けチームはダッシュ、その後もタイムトライヤルの持久走、練習終わりにクーパー走、サーキットトレーニング。

 

何とか乗り切り、家に帰ってから銭湯に行って湯船につかりながら、「あー、心臓が動いている」としみじみ思ったことを覚えている。

 

スポーツの世界は、暗黙的に実力でお互いを天秤にかけている。それがそのままヒエラルキーにつながることが多い。雑誌に乗るようなスーパースター選手は、学年が下でもある程度は人権がある。一方で、下手な選手は部室でなかなか自分の席すらも与えられない。

 

たまに、たちの悪い先輩がいて、「おまえとおまえ、そしておまえは辞めさせるから」と何の権限もないのに、目をつけられて嫌がらせをしてくることもあった。

 

「死のう」なんてことはよっぽどでないと思わないだろうが、精神的にも体力的にも相当追い詰められることは否めない。

 

そして入学してから約2ヶ月。私と同じように先輩に目をつけられていた同級生が辞めた。

 

最初は一学年で40人ほどいた部員が、卒業する頃には16人になっていた。

 

たまに今でも当時のサッカー部のメンバーと会うことがある。修羅場をくぐり抜けたチームメートとは、しばらく会っていなくても一瞬で打ち解け合える。昔の「しごき」トークは笑い話となり、美談に変わっていく。

 

私もこの辛い3年間を乗りきったこと、ともに戦った仲間が誇りだし、人生哲学の原点にもなっているーー。

 

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今、部活動のあり方の議論が盛んになっている。学校教員の働き方、日大のアメフト部の事件などによって、社会的議論の俎上に載せられている。

 

果たして、部活におけるスパルタ教育は必要か。

 

スパルタの定義が難しいけれど、一つのことにとことん、とことんこだわり続けて、仲間、そして自分と対話を繰り返す活動はかけがえのない経験になる。そういう意味で、自らを厳しく律する環境は有益かもしれない。

 

しかし、理不尽なことを言われたり、限度を超えた「しごき」をされることは本当に必要なのか。思考停止するほどに、精神的にも体力的にも極限まで追い詰める部活動は必要なのか。私は賛同しない。

 

今テレビなどで、荒っぽい言葉遣いをする部活動の顧問と、穏やかな語り口で選手と接する部活動の顧問を対比して報じているのを見かけるが、本質的にはそこではないと思う。

 

部活動を通じて何を教育したいのか。そして、選手が何を感じ、どういう思考プロセスを展開し、どう行動に移しているか。それらに、合理的な論拠と指導法が存在しうるのか。それが最も重要なのではないか。

  

スポーツの世界で指導者側に立つ人間は、得てしてスポーツで成功してきた人が多い。だから、必然とこれまでの旧態依然とした教育を受けて成功した人の声が大きくなる。自らの経験を否定するような発言は心理的に抵抗があるゆえに、スパルタの是非を根本から見直すことにつながりにくい。

 

一方で、途中で挫折した人の声は明るみになることはない。部活動を途中で辞めてしまった人がメディアで発言しているのを私は見たことがない。もっとこれまでのスパルタ的部活動の「負」の側面に光をあてるべきだ。

 

私は部活動のスパルタによって成長したのではなく、サッカーというスポーツを通じて、くどいほどに自らと対話した経験が生きている。

 

「自分はおそらくもうレギュラーにはなれず、華やかな舞台には立てない。どうする?」

 

「パスが10センチずれてしまう。どうしたら精度の高いパスを出し続けられるだろうか?」

 

「仲間が辛そうだ。どう声をかける?」

 

 

仮に理不尽や暴力などによってしか、選手たちに対話を促せないようであれば、指導者としては明らかに勉強不足だ。そして、勉強不足は、勉強する時間がないほど過密な日程で練習をしていることに起因しているようにも思える。

 

「先生たちは情熱を持って、生活の大半を費やして部員たちと向き合ってくれている」。

 

教育にかける先生たちの情熱は、これからの日本の未来を築き上げるために必要不可欠なものである。私もたくさんの「情熱」に育ててもらった。

 

ただ、ひたすら部員と過ごすことに時間をかける以外に、先生が常に学び続けて変容していくことも、また情熱なのではないかと思う。

 

指導者は選手たちに「変われ」と言う。一方で指導者は変われているのか。

 

私は、じっとうつむき、部室を飛び出して行った同級生の姿が忘れられない。

 

 

 

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質の高い情報を効率よく引き出す方法は「ラリーの緩急」!?

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◆取材先との言葉のラリー

最近は、マスコミに内定している学生さんと一緒に取材することがあります。そこで面白いのは、自分の技能が映し鏡になって見えるということです。

 

僕が社会人になってから培った技能が、彼らとの比較によって浮かび上がってきます。学生さんたちができないと言いたいのではなく(むしろ私の方が学生時代はもっとできなかった汗)、新人から熟達していくまでに、育成の視点から何を培うべきかが見えてくるという意味で大変貴重な経験をさせてもらっています。

 

取材を終えると、だいたいメシに連れて行って、振り返り会をするのですが、ここで私がやっていること、意識していることを言語化して伝えます。

 

最近気づいたことは、取材先との言葉のラリーについてです。

 

◆取材の実践方法

多くの学生は、取材をしている相手と、ずっと一定のペースで言葉のラリーをします。一問一答のような形式です。相手が打ち返してこなくても、そのボールを待つか、打ち返しがあるまで、言葉を送り続けます。

 

構造化インタビューなど、客観性が求められるものであると、そういう手法はありかもしれません。しかし、質の高い情報を取るには、大変効率が悪いです。

 

私は、まずいろいろな角度でさまざまな言葉を投げていきます。相手からどんな打ち返しがあるか、様子を見る段階です。

 

当然、打ち返しが悪い箇所があったり、逆にものすごく速く返ってくる箇所があったりします。それを頭で記憶しておいて、「大体、この人の打ち返しのいいところはここだな」と把握した瞬間、一気にペースを上げます。「高速ラリー」段階に入ります。

 

言葉を変えながら、何度も何度も同じ内容の趣旨の質問をして、深掘っていきます。当然相手も自分のツボを突かれているもんだから、饒舌になるし、ジャラジャラいい情報が出てきます。ここは貪欲に聞ききることが重要です。すると、取材されている本人すらも気づいていないその人の核となる言葉が出てくることもあります。

 

そして、「聞けたな」と思ったら、さっと終わる。

 

ここでさっと切り上げられるのは、最初にいろいろな角度で様子見をしているからです。最初の段階で5W1Hなど、最低限必要なことを聞けているのです。

 

そして取材を終える頃には大体頭の中で原稿ができている。核となる言葉が聞けていれば、見出しも想像できる。新聞記者は、そのスキルを持っているから書くのが速い。

 

ちなみに、打ち返しが悪い箇所を何度当ててもいい情報は出てきません。なぜなら、その質問について相手は情報を持っていないからです。

 

相手が情報を隠していると考えられる場合は別です。それはまた他のテクニックが必要なので、別の機会に。

 

 ◆記者は速く書くのに長けている

先日、ベトナム戦争の機密文書をスクープした「ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書」という映画を観にいきました。

 

ワシントンポスト紙の編集主幹、ベン・ブラッドリー氏が、大量の資料を前にたじろぐ記者たちに数時間で記事を書けと命令します。「ニューヨークタイムズは数ヶ月かけたのですが……」と記者が言うと、ベンはこう返しました。

 

 

「君は小説家か?記者か?」

 

 

いかに時間内で質の高い記事を書くか。新聞記者にはそれが問われています。記者は多忙であることが常なので、取材をいくつも掛け持ちしています。そういう環境下だからこそ、自然と培える力なのかもしれません。

 

ゆっくり時間をかけて取材をすることが重要なものもあります。効率的に情報を引き出すことが全てだとは思いませんが、人から話を聞くときに、「相手の話の核となりそうなものは何か」。それを考えながら、言葉のラリーに緩急をつけてみると、少し変わって見えるものもあるかもしれません。

 

それではお元気で。

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イチロー選手は本当に衰えたのか。「年齢」が生む世間の空気。

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イチロー選手の心身に関するデータに特化した骨のある記事が読みたい

イチロー選手のシアトル・マリナーズへの入団、そして、特別補佐への就任と、サプライズなニュースが飛び交っていますね。

 

さまざま人が、イチロー選手の進退について語っていますが、私がずっとモヤモヤしているというか、知りたいなと思うのは、タイトルのとおり、イチロー選手は本当に衰えたのか、ということです。


イチロー選手の戦績を眺めていると、確かに盗塁数や打率が落ちているのですが、チームの中での立場や役割が変わっていることもあり、これらの数値から何が言えるのかよくわからないところがあります。動体視力の低下なども聞いたことがありますが、その指標は何なのか、いまいちピンとこないというのが素人なりの気持ちです。


特に知りたいのは、

  • どういう点が技術的に落ちてきているのか。それがわかる客観的なデータは何か
  •  現在の技術がメジャーの基準でいえば、何がどこまで満たしていて、何が満たしていない状態なのか
  •  世間の「年齢的に…」という空気が及ぼす心理的な影響はないか

という点です。


ずっとイチロー選手を追い続けてきたジャーナリストや専門家に、読み応えのある記事をぜひ書いてほしいと思います。

 

「年齢から言えば…」や「年齢的に…」というのは、技能が落ちているという事実があって、その要因を推測するときに出てくる言葉であって、年齢だけを強調されても、腹落ちしにくいのが実際のところです。

 

 

◆「もう歳だから」という言葉

「もう歳だから」という言説は、巷でよく聞きますが、これは肉体的な衰えもあるものの、どちらかというとそれ以上に精神的な衰えからきているものでないかなと思う時があります。


「私はもう歳だから、若い辻さんに頑張ってもらって…」

 

職場では、頑張る=パフォーマンスを発揮するという文脈で語られることが多い。

 

しかし、周りを見渡すと、私以外、ほとんど若い人はいない。

 

職場における若い人=がんばる=パフォーマンスを出す
頑張る人:N=1

 

職場における若くない人=がんばらない=パフォーマンスを出さない
頑張らない人:N=50

 

どーするねん!これ。

 

若い人が1人のみとまではいかないものの、こういう年齢構成の職場、増えていないですかね。

 

「若い辻さんには頑張ってもらって」という発言は、「俺、もう疲れたから、真剣に仕事しないよ」と宣言しているように聞こえます。

 

本当に若手の活躍を願うシニアは、こういう発言はしない気がします。さりげなくサポートしながら、活躍の場を与えてくれる。

 

高齢化が進んでいます。定年制の廃止も議論されるようになってきました。モチベーションが下がったシニア社員をどのようにマネジメントしていくかという研究も、注目されています。

 

人生100年時代といわれる時代のなかで、これまで年齢に抱いていた固定観念は、変えていかねばならないのかもしれません。

 

50歳までマネジャーやってから、プレイヤーに戻ったとして、肉体的に衰えがあったとしても、圧倒的な知識量と熟練の技を発揮して、プレイヤーの中でのエースになってもいいんじゃないかと思います。若手とは異なる活躍の仕方があるのではないかと。

 

輝くシニアがいれば、きっと若い人のロールモデルになるはず。

 

輝くシニアがたくさんいれば、若い人は目指すべきキャリアを描けると思います。

 

一方で、輝くシニアがいなければ、若い人は会社にいる将来を見失うかもしれません。

 

 

イチロー選手のこれからがヒントになる

「失敗した時でも、成功した時でも、サヨナラホームラン打った時でも、三振した時でも、何があってもコンスタントにやり続けているイチローさんがいるからこそ4000本という数字があるんじゃないかなっていうふうに思いました」

 

イチロー選手が4000本安打を達成した時、ニューヨークヤンキースチームスタッフ、アレン・ターナーさんが、特集番組で述べた言葉です。

 

僕はこの言葉に感銘を受け、一流の努力というのはそういうことなんだと痛感しました。

 

今回の特別補佐就任時、イチロー選手はインタビューでこう述べました。

 

「僕は野球の、何て言ったら…研究者でいたいというか。自分が今44歳でアスリートとして、この先どうなっていくのかというのを見てみたい」

 

イチロー選手がこれから見つけていく答えは、アスリートだけでなく、同世代の多くの人々にとって、働く上でのヒントになるのかもしれません。


来年、ガンガンに先発出場するイチロー選手が見られることを、僕は心から願っています。

 

それでは、お元気で。

「なぜ新聞を読まなくなったと思う?」の問いに考えること

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大学にいると、メディア関係者からこの問いをよく聞きます。

 

僕自身もなぜ読まれなくなったのかということは常々考えてきました。

 

結論から申し上げると、最近思うのは、「そこにあるもの」ではなくなったからではないかということです。

 

私は忙しい日でなければ、大体、全国紙を全部ざっと目を通します。なぜなら、新聞は読み比べが一番面白いからです。

 

気になるニュースがあれば、そのテーマの記事をじっくり読み比べると、どの社がどこに力を入れていて、どこに強い情報源を持っているかが見えてきます。記者の息づかいが感じられて、面白いです。右や左などの政治思想よりも、よく現場で聞き込みしているなぁとか、捜査関係者と太いパイプを持っているなぁとか、そういうことを記事から読み解く方が好きです。

 

全紙読むのに最も便利なのは、図書館。勤務している大学の昼休みに図書館に行くと、3階に新聞閲覧コーナーがあり、一つの机に1紙広げて見られるようになっていました。

 

ただ、ここには先客がいて、大体同じ人が同じ時間帯に同じ新聞を読んでいることが多く、私は何紙か読んだ後に、学会誌などをぺらぺらしながら、その人たちが読み終わるのを待ちます。結構な時間読んでいるので、熱心な人たちだなぁと思っていました。

 

ある日、図書館のレイアウトが変更されて3階の新聞閲覧コーナーがなくなり、1階入り口近くに新聞ラックが設置されるようになりました。それに伴い、机がなくなりました。

 

これからは、あの熱心な新聞ファンの職員に1階で遭遇することになるなぁと思っていたら、その日からその人たちと全く遭遇しなくなりました。

 

そう、おそらく彼らは、新聞を読みたくて新聞閲覧コーナーにいたのではなく、昼休みに静かな部屋でゆっくりくつろげる居場所がほしくて、新聞閲覧コーナーにいたのです。

 

新聞は何が何でも読もうとするものというよりも、そこにあるから何となくぺらぺら読む。実はそういう人が大半なのではないでしょうか。

 

そう考えると、昔は今よりも、私たちの近くに何となく新聞があった。しかし、今は新聞よりも何となく近くにあるものが出現した。

 

今、電車に乗っていると、多くの人がスマホを眺めています。電車の椅子に腰をかけ、真剣な顔をしてスマホ触っている年配のビジネスパーソン。窓に反射したスマホの画面に映し出されるのは、パズルゲーム、シューティングゲーム格闘ゲーム

 

もはや新聞の競合は、隣の大手紙、ブロック紙、地方紙ではありません。ゲーム会社であり、Youtuberであり、買い物サイトなのかもしれません。

 

みんなのポケットに入っている機械で、お金を払ってでも新聞を読もうとさせられるか、ということなのだと思います。

 

確かに、質の高い記事を出し続けることは重要であることは変わりませんし、マスメディアしかできていない取材はたくさんあります。しかし「なぜ新聞を読まなくなったと思う?」との問いは、記事の質を問う文脈だけで語られがちですが、まずは「そこにあるもの」である必要があるし、そしてゲームよりも見たいと思える仕掛けを、デジタル・アナログで、商品だけでなく、流通、価格、プロモーションの戦略を総合的に考えていかなければなりません。

 

新聞の面白さ、ちゃんと多くの人に届いてますかね?

 

最近、なんとなくそういうことを考えていました。

 

それでは、お元気で。

 

 

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