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人材育成の観点から「経営」「教育」「メディア」について考えます。

これまでの10年、これからの10年

この4月で助教から准教授になりました。

 

一見、肩書きが微妙に変わっただけなのですが、私にとってはとてつもなく大きな変化です。東京で暮らし始めて10年余り。ここまで駆け上がってきて、ようやく腰を据えてやりたいことに挑戦できるフェーズに来たと実感します。これまで支えてくださった方々のおかげです。本当に感謝しています。

 

 

◆10年という月日◆

私の経験上、10年あったら人は全てを変えられると思っています。

 

10年前の2014年は新聞記者を辞めて、大阪から東京に出てきてゼロスタートで仕事をする傍ら、研究の世界に挑戦しようと大学院入学のために受験勉強を始めた頃です。学術の世界なんて全く知らなかった。さらに10年前の2004年は何者でもない浪人生でした。高校卒業時は偏差値30ぐらいで、それまでサッカー一筋で努力してきた頑張りをそのまま全て受験勉強に振り向けていました。

約10年前、車を借りて荷物パンパンに詰め込んで、大阪から東京に引っ越した。

 

今振り返ってみると、全てはつながっていて、無駄なものはほとんどないことにも気付かされます。大事なことはその都度、一生懸命考えて、悩んで、最善だと思う道を選んでコツコツと行動に移すことかなと思います。その積み重ねが今の自分を作っている気がします。

 

熟達の理論に「10年ルール」というものがあります。一人前の熟達者になるためには10年が一つの目安と言われます。当然、職務内容によって差があると思いますが。

 

新聞社を退職する際、編集局長室に呼ばれた私は、上司に後学のために教えてくれと言われ、「何年で記者として一人前になれると思うか?」と聞かれたことを思い出します。若い記者の離職率が上がり、いわゆる「雑巾がけ」と言われる修行のような期間はどれくらいだったら適切かを知りたいようでした。当時、どう答えたかははっきり覚えていませんが、ニュースの価値判断の分別がつけられるようになるのに約1年半、そこから不祥事事案を含めた高度な取材スキルに3年、記事執筆のスキルは奥が深く、さらに何年かかかるといった印象でした。

新聞記者時代は昼夜問わず、現場を走り回っていた。

 

いずれにしても10年あれば、大して才能のない自分でもその道である程度、身を立てられる。10年とはそんな月日なのだと思います。

 

 

◆これからの10年◆

4月を迎え、新たなスタートということで、これまでのキャリアを踏まえて、これからの10年どういう道を歩んでいきたいのか。節目である今、改めて考えたいと思います。

 

これからの10年、テーマとして掲げたいのは「丁寧に生きる」ということです。

 

20代、30代、猛烈に働いてきました。新聞記者の頃は、時間と労力を仕事にほぼ全振りして働いていて、その分、成長速度もめちゃくちゃ早かったと実感しています。友人からは「いっつも力んでいる」と言われたこともありました。入社して5年少しで退職した時には「5年しか持たない働き方をしていたのかな」と思ったこともありました。

大災害が起こり、1ヶ月半1〜2時間睡眠で取材していた。登山して孤立集落にたどり着いた時の写真。この直後、道端で寝た。

 

転職した後は、仕事と研究、非営利活動とマルチタスクで活動していて自分の幅を広げていました。仕事が終わったらカフェで23時くらいまで勉強をしていたこともありました。同僚には、私のそんな姿を見て、「なんでそんなに頑張るの?自分のこと許してあげたら?」と言われたこともありました。

東大大学院時代。脳みそちぎれた。笑

 

そういう言葉をかけてくれる人は、私のことを思いやる優しさから言ってくれていましたが、周囲からはそう見えるんだと、色々考えさせられました。必ずしも努力すること、頑張ることが全ての人にとって素晴らしいことではないということも学びました。確かに犠牲にしてきたものもあったなと思います。

 

ただ、私にとってはいずれの働き方も、今思えば楽しかった。なぜか。

 

そこに希望があったからです。

 

できないことができるようになる自分、知らなかったことがわかる自分。

 

まだ見ぬ景色を目指して、希望に向かって走っている瞬間が、最も幸せなのではないかと思います。あくまでも私にとっては、ですが。

 

ですから、努力は手段であって、目的ではない。希望に向かって走り出す時に努力が必要なら、その苦労は厭わない。そんな感覚です。

博士取った。

 

前置きが長くなりましたが、これからの10年は、これまでとはやや異なる生き方を模索したいと思います。

 

猪突猛進的な働き方から少し脱却し、やりたいことを我慢しない、しなやかな生き方を目指します。

 

知識と経験が豊かになるにつれて、できることが増えていきます。今は何をやるのかよりも、何をやめるのかを考える方が苦労します。ネットワークも広がってチャンスはどんどん増え、手当たり次第挑戦していると、気がつけば本当にやりたいと思っていたことができなくなっているといった状態に陥りがちです。

 

責任と権限も増える中で、残したい成果、それを達成するための働き方、それを維持するための過ごし方をバランスよく配置して、器用に回していきたいと思っています。

遊びも大事。

 

◆残したい成果◆

今後10年、残したい成果は1年半前に計画として立てているものがありますが、簡単に示すと以下のようなものがあります。

 

・ニュース組織研究

まだ現場に知見をしっかり返せていないと感じています。レガシーメディアは「経営」の知見が足りていない、新興メディアは「ジャーナリズム」の知見が足りていない印象がありますが、双方ともあまり見られないのは、育成とマネジメントの視点。良いコンテンツ、あるいは良い経営戦略を生み出したければ良い人材を育て、機能的にマネジメントできる組織体制や制度を整備していく必要があります。心身を削って満身創痍で働く記者を何人も見てきましたし、私もその一人でした。そんな働き方でしか本当にいいものは書けないのか。「甘い世界じゃねぇ、命懸けでネタとってこい」風土の中でこれまでの記者たちが生み出した報道には大いにリスペクトしていますが、記者それぞれの幸せと両立できる組織にできないのか。もっと効果的に質の高いニュースを生み出せないのか。この辺りは検証の余地があると思っています。新人記者の頃に仕事のいろはを教わったデスク2人が亡くなりました。50代という若さでした。あまりにも悔しい出来事でした。彼らの教えを胸に留めながら、自分なりに現場に返せることはないか、模索していきたいです。

 

・創造的成果の組織論

まだ適切な言葉が浮かばないのですが、イノベーション理論やイントレプレナーシップ研究の中に資源動員、ブリコラージュ、ブートレギング、チャンピオニング、闇研、逸脱と言われる分野や概念があります。リーダーシップ論ではポリティカルリーダーシップという概念があります。組織論の中にもパワーという概念があります。これまで研究を続ける中でこうした概念がずっと気になっています。これらの概念を整理して、新しい形で社会にお届けできればと考えています。組織に属している以上、誰しもが組織の力学に飲み込まれていきます。どれだけいいアイデアや成果物を生み出しても、組織の力学を見極め、うまく立ち振る舞えないと潰されてしまうリアルが存在します。ルーティンワークから外れて、潜在的可能性のある創造的成果物を世に出すのは一筋縄ではいかない。それでも、組織の壁を突破して世の中に革新的なモノやサービス、情報を提供したいと思う人々に返せるような知見を生み出したいと思っています。

 

・若い人を応援する知見の提供

特にこれまでの4年間は大学生と向き合ってきた時間が長かったです。学生個々人によってかなりムラはありますが、その中で感じたことは、他者と協働し、確実に仕事を遂行していくための「基本動作」が学べていないということでした。メッセージの送り方から、タスク・スケジュール管理、コミュニケーションの取り方、議論の仕方、成果を残すための思考そのものまで、ありとあらゆるスキルを徹底して伝えてきました。これまで教わったことがないのでできなくて当たり前なのですが、もし大学でも教わらないまま社会に出てしまったら、企業で相当苦労してしまうだろうなと思いました。私と関われる学生は一握りなので、大学生、企業の新人向けに広く基本動作をまとめた知見を提供したいと考えています。

 

・事業承継の共同研究

中小企業の抱える問題は深刻です。後継者への承継がスムーズにいかない実態があります。日本の企業は99.7%が中小企業と言われています。日本の経済力を支える企業の喫緊の課題で、待ったなしの状態となっています。こちらはお誘いいただいた大学院同期の斉藤さんと師匠の中原先生との共同研究です。研究結果をもとに、事業承継のあり方についての知見をお届けできるように頑張りたいです。

 

他にもいくつかありますが、ひとまずは形にできそうなものをコツコツと進めていければと思います。

 

ここ4年は学内のアクティブラーニングの体制構築にかなりの時間を割いてきました。各科目のコンテンツを作り、学生を育成できるコミュニティを整備し、協力してくださる先生方にも働きかけてきました。ある種の組織開発の実践だったと思います。

 

國學院大學経済学部FAたち。この4年、自律した学習コミュニティとしての文化の構築と継承、成果を最大化するためのチームビルディング、コミュニケーションスキル、プロジェクトマネジメントを磨くための仕組みづくりに励んできた。

 

これからは原点に立ち返り、もう少し「書く」ということもバランスよく取り入れていけたらと思います。記者だった私にとっては書いて伝えることが原点です。筆が速い方ではありませんが、それでもあまりにも書いていない期間が長いと不健全な気持ちになってきます。どんなものであれ、形に残すことの重要性を強く感じているので、頑張りたいです。

 

◆生活を変化させる◆

こうした成果物を残していくためには、生活そのものも変えていかなければならないと思います。これからは現在と同じ馬力を維持していくためには、変わっていかないといけないと思っています。元々幼い頃から運動をしてきて、部活もバリバリやっていたタイプなので体力に過信している部分がありましたが、次の10年を見据えてゼロから体づくりをしていけたらと思っています。

 

ひとまず実践してみたいと思う働き方の改善策としては、

・すぐに返せないメッセージの即レスをやめる(もちろんモノによる。しかし染み付いた即レス習慣を変えるのは、本当に難しい)

・時間に制限のない会議をやめる

・行きたくない義務的な飲み会に行かない

・なんとなくの晩酌をやめる

・時短につながるサービスや製品は積極的に取り入れる

・1日の中で仕事を終える時間を明確に決める(ダラダラ仕事をすることで全てが後ろ倒しになる)

 

こうした改善策から時間を生み出して次のことを取り入れたい

・ランニング、筋トレなどのトレーニングの頻度を上げる(心理的抵抗感はゼロなので時間を捻出できればできるはず!)

・コンビニでご飯を買わず、ちょっといいもの買うなり作るなりして食べる

・リフレッシュ時間を週1回は取って体調を崩さないようにする(崩すと長い)

・軽めの登山を定期的に行う(自律神経が整う)

 

 

10年、様々な人に出会い、たくさんの経験や言葉をもらいました。修行の日々が長かったですが、いつも伴走してくれる人がいました。

准教授内定を祝ってもらった。師匠の中原先生と舘野先輩、田中先輩。

 

次の10年もまた、どんな人生が待っているのか。どんどんおもろいことを仕掛けていきたい。与えられた使命と希望を持って、日々研鑽に励みたいと思います。

第83回アカデミー・オブ・マネジメントに参加してきました

“我々の仕事は、処方する(pescribe)ことではなく、説明(describe)することである。我々は同僚や実務家に心を開き、新しい洞察を見出すこと。それが世界を変えるのです。”

 

ヘンリー・ミンツバーグは、世界各国の研究者たちの前で熱弁を振るった。これまでの長い研究生活に裏打ちされた含蓄のある語りをユーモアを混ぜながら、約25分間。83歳という高齢でありながら、非常に聡明でキレのある講演だった。

 

満員になったホテルの一室の脇で立ち見をしていた私は、全力で耳を傾けた。半分も理解できただろうか。ポパーピアジェ、シュルツの主張を引き合いに出しながら、厳密性と関連性、観察することの重要性について話していたことはなんとなくわかった。

 

“私たちは観察することは得意ではない。MITで修士のコースにいた時、ビジネスを実践していた教員に授業で問いかけられた。1階の入口のフロアは何色だったか。柱はいくつかあったか。クラスで誰も答えられなかった。概念的なものであれ、物理的なものであれ、観察によって明らかになることはたくさんあるのです。”

 

ミンツバーグは純粋な理論主義を仮想敵とし、マネジャーの参与観察などを実践してきた世界的に有名な経営学者である。5フォースで有名なマイケル・ポーターの論に真っ向から批判を展開している。誤解を恐れずに言うならば私からすると「現場を大事にする研究者」だと言える。

 

数分前まで「本の中の人」が、目の前で生の声で語っていることに感動すら覚えた。論を展開するだけでなく、しっかりと現場を観察し、その現象を説明することが研究なんだ。拙い英語スキルで必死に聴いて、その想いだけは伝わってきた。

 

師の中原淳先生もかつてミンツバーグに会ってサインをもらわれたそうですが、私もちゃっかりもらった。

ーーー

アメリカ・ボストンで開催された第83回アカデミー・オブ・マネジメントに初めて参加してきた。東大院時代の同期の斉藤さんが5月頃「AOM行こうよ」と声をかけてくれた。海外に行くチャンスがあるときは、出来るだけ行く。私はこれが鉄則だと思っている。何の準備もできていない。冷やかしでもいいから、何かつかみに行けたらなと思って参加を決意した。

 

一番持って帰って来られた収穫は、案の定「悔しさ」だった。今の自分では全く世界の舞台に上がれない。国籍の異なる人々が当たり前のように英語を使いこなし、高度な議論を重ねている。めちゃくちゃポジティブな空気の中でお互いの知識を共有し合っている。スキルも知識も足りてない私はまともに輪の中にすら入れなかった(斉藤さんは世界各地の大学教授たちにアポ取りまくってガンガンに攻めてたなぁ)。

 

1日5、6セッションを聞いて回ったが、ロビーでプレゼンの練習をしている若い研究者たちを何度も見かけた。ドクターコースの中国の学生が汗をかきながら発表をしている。エアコンがガンガンに効いているホテルの部屋なのに。「みんな必死に挑戦しているなぁ」。

 

約6000セッションくらいのテーマがあったが、どの分野が研究として人気なのか、何がマイナーなのかが会場のオーディエンスの数でなんとなくわかった。そして、ミンツバーグはもちろん、コフラン、カミングス、アボリオ…。文献で何度も見かける研究者が当たり前のようにいる。この環境でしのぎを削ったら、そら強くなるだろうな。

変革型リーダーシップの文献などでよく見かけるアボリオ先生

 

こうした自分の目と耳で感じたことは、今回足を運んだことの価値だと思っている。

 

昨年、博士号を取らせてもらったが、これからまだまだ気が遠くなるほど果てしない研究の地平が続いている。何にも達成していない。ずっと先がある。

 

つまり、希望しかない。

 

これから何にどう舵を切っていくのか、走りながらじっくり考えたい。

ーーー

 

余談だが、ボストンの物価の高さには衝撃を受けた。ボストン・ローガン空港に降り立って売店で軽くサンドウィッチを買おうと思ったら、11ドル(1500円)。円安もあってか、私の肌感覚としては全てのものが日本の2.5〜3倍ほどの値段がする印象だった。ブルーボトルコーヒーカフェラテ1杯6.69ドル(970円)。ビッグマック1個6.39$(925円)。場合によってはここからチップが+20%。レストラン行ったら、軽く一人1万円はする。バスのオペレーターの求人は時給4300円だった。

 

もう日本はGDP世界3位と言えども、先進国ではないのかもしれない。日本の給料では暮らせない街だった。

レッドソックス吉田選手

 

2022年回顧

激動の2022年が終わろうとしています。世界的にも非常に不安定な1年でした。一日、一日を噛み締めてきた一年でもありました。

 

私個人も人生の大一番を迎えた年でもありましたが、今こうやって穏やかな日を迎えられて、感謝の念に絶えません。多くの人に支えられて今があると思います。

 

この1年の振り返りと今考えていることは残しておくべきだと思い、簡単ですがこのブログにしたためておきたいと思います。

 

1:博士号を取得した

今年はこれに尽きます。東京大学大学院に入学したのが2015年。7年かけてようやく一つの節目までたどり着きました。「最後の青春」と自分を奮い立たせて、これまでの研究成果から大きな絵を描く博士論文に着手し、仕事以外の全ての空き時間を使って突っ走りました。

 

提出した直後は、年甲斐もなく泣きました。笑 

 

博士号取得という大きな山を登った時に見えた景色は、「ここはゴールではなく、スタート」ということでした。これまでは指導教員、先輩、審査の先生方に支えられて登ってきましたが、これからは自分で決めて進み、また誰かを支えていかなければなりません。

 

お世話になった人々の学恩に報いるためには、ここから勝負だと思います。

 

 

2:ゼミができた

勤務校にて今年から「特任」が外れ、専任教員としてゼミを持つことになりました。1期生はゼミの文化を創る非常に重要な役割を果たします。ゼミの募集要項の一文目に「ハードワークを求めます」と書いたにもかかわらず、個性溢れるツワモノが集まってきました。笑

 

ゼミは2年生の後期スタートですが、半期で既に全員が3回(文献ワークショップ、論文分析発表、個人研究発表)の発表を経験しました。前のめりな学生も多く、グループワークでもディスカッションでもガンガン意見が出てきます。ゼミのロゴを作ってくれたり、情報のストックさせるツールを作ってくれたり、どんどん主体的な学習コミュニティとして進化しています。今では私が何も言わなくてもゼミが回る仕組みが整いつつあります。

 

ゼミは特定の学生とじっくりと向き合う非常に貴重な機会です。これからの社会を担う未来ある若者に私は何を遺してあげられるだろうか。そんなことを日々考えるのですが、単に課題を与え、知識をインプットしてもらうだけではなく、深く考え、表現し、自らあらゆる局面で最善の道を切り開いていける武器をいかに渡すことができるかを考えて、ゼミの仕組み作りを試行錯誤しています。「しなやかさと力強さ」を兼ね備えた若者を社会に送り出すのが目標です。

 

3:生活環境を整えた

博士号を取得し、一つの節目を迎えたということもあり、自分の人生に今までなかったテーマを一つ組み入れました。それは「健康」です。大学を卒業してから今まで字の如く、突っ走ってきました。いや、もしかしたら高校時代からかもしれません。無茶苦茶なハードワークもした時もありましたが、歳を重ねてきたこともあり、心身の状態にも関心を向けて最大のパフォーマンスを発揮し続けられる生活に整えることを目指しました。

 

ゆとりのある住居空間にし、運動や筋トレを定期的に取り入れ(8年ぶりにサッカー大会にも出場しました。笑)、サウナに行って血行を促進し、なるべく自炊で美味しいものを食べる。常にそうできるわけではありませんが、少しずつ意識的に取り組めるようになってきました。

 

ガッと根を詰めて取り組むことができるのが私の強みでもあるのですが、バランスよく生活しながら、コツコツと成果が残せる力をつけて更なる進化を遂げたいと思います。

 

◆◆◆

そのほかにも、引き続きジャーナリストの育成事業で新たなコースを作ったり(https://tansajp.org/school/)、FA制度の体制構築を模索したり、今年は研修や授業を通じて多方面で人材育成に携わったなと思います。

 

来年は文章でアウトプットします。モノを書いて残すことは必ずやり遂げたい。過去の成果にすがらず、ゼロから新しいものを生み出したい。ここだけはコミットしようと思います。おもろいことにどんどん挑戦したい欲求が高まっています。

 

今年1年、大変お世話になりました。良いお年をお迎えください。来年もどうぞよろしくお願いいたします!

 

 

 

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2020年回顧

怒涛の2020年が終わります。年初は目標を詳細に設定してうまく相乗効果を高めながら取り組もうと思っていましたが、不測の事態に完全にバランスを崩した1年でした。しかし、それは環境への適応と新たな挑戦に否応なく迫られた時の自分振る舞いを改めて見つめ直せた一年でもありました。

 

年初は、研究、学生教育、成人教育を3つの柱として掲げて取り組もうとしていましたが、思った以上にバランスよく成果が残せませんでした。しかし、それでもそれぞれ次につながる一手は打てたのではないかと思っています。

 

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順に見ていきたいと思います。

 

1:学会発表に3回臨んだ

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・調査報道ニュース生産過程における新聞社編集局員の組織行動に関する研究

・学校管理職を対象とした「働き方改革」推進のための集合研修の開発:サーベイフィードバック型働き方改革の推進

働き方改革の推進に資する校長研修の評価:組織変革アプローチによる労務改善

 

2月、3月、9月に学会発表を行いました。2月はまだコロナの市中感染が広がっておらず、ギリギリ対面で学会の発表会が開催されており、緊張感のある雰囲気で発表ができました。知り合いが増えることが学会に赴くことの良さでもありますね。それ以外はオンラインでの発表でした。これはこれでいつ誰が来るかわからない緊張感がありました。

 

いいフィードバックをもらおうと思うと、どんな研究でも相手に伝わる話し方がとても重要です。研究者からいただける質問は核心的なことも多く、その後の研究の進展に大きな影響を与えてくれることもあります。難しいことを難しいまま話してしまうと、学びが深まらないことがあるので、短時間で相手に伝わる話し方を徹底したいと思いました。

 

今年は情けなくも研究は正直、あまり進めることができませんでした。時間がないことを言い訳にはできませんが、今年は本当に時間がありませんでした。4月からまともに休日が取れた日は2、3日あるかないかという異常な感じでした。

 

2:週6コマのオールオンライン、オールアクティブラーニング授業

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今年はほとんど授業に時間を費やしたと言っても過言ではないです。4月から新しい大学に赴任していきなり前例のないオンライン授業に突入しました。しかも全て学生がグループワークを行う授業でしたので、全員が遠隔でどのように双方向に学ぶか、試行錯誤の日々でした。

 

國學院の授業は上級生が下の学年の授業の運営をする制度があるので、自分がズームを使いこなすだけでなく、上級生もマスターしてもらう必要がありました。猛烈に働きましたが、学生も猛烈に頑張ってくれました。ほぼノーミスで、しかも、どのクラスも1年生が脱落することなく無事、年末を迎えられたことは実は結構すごいことなんじゃないかと今改めて実感しています。オンラインは様々な可能性があり、今後もさらに進化し、教育の世界に組み込まれていくことは間違いないでしょう。

 

ただオンライン授業を始めて最初の3ヶ月くらいは本当にしんどかったです。外出せずにずっとパソコンの前にいて、次々とミーティング、ミーティング、授業、授業、ミーティング……。それが延々と続く。合間を見つけてはベランダでラジオ体操していました。3ヶ月が過ぎると、そう言った日々にすっかり適応していて、学生もクラウドツールも使いこなせるようになり、不便さを感じなくなりました。むしろ外出するのが億劫になってくる感覚を覚えました。人間はよくできているもんです。

 

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後期はプロジェクトをガシガシに回しました。500人規模のプレゼン大会のイベントの設計を考案して、ハイブリッドと完全オンラインを両にらみで学生と準備を進めました。日本でもここまでの規模で実施している大学はまだそんなにないように思います。ここまでのものを運営すると、オンラインに対する怖さはもうなくなりました。

 

新しく着任して「基礎演習A,B」「経営特別演習」「ビジネスデザイン」「リーダーシップ基礎」「ビジネスゲーム」を開講し、非常勤でも「日本研究(政治・社会)」をマイナーチェンジをしながら、週計300枚くらいのスライドを作り続けました。パソコン越しの受講生に思いを馳せながら話し続けました。

 

社会人1年目もそうでしたが、知識や経験があまりない時はひたすらにハードワークをして一気にスキルを一人前のレベルに持っていく。今年は話す力とそのためのスライド作成の力がものすごく身に付きました。そうすると翌年から初歩的なストレスがなくなるので、さまざまな工夫ができるようになっていきます。来年はさらにパワーアップしようと思います。

 

そして何よりも大きな気づきは、私は教育に携わることが心から楽しいと感じたことです。今の若者は「日本の宝」です。未来の日本を担う若者の成長に携われるのは何よりもやりがいを感じることです。

 

3:ジャーナリスト育成事業の設立

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2020年11月、現役の若手ジャーナリストと市民を対象に調査報道のノウハウを学ぶオンライン講座の事業を立ち上げました。元朝日新聞特別報道部でワセダクロニクル編集長の渡辺周さんと2年ほどかけて企画を練りこんできたものです。最初は老舗の出版社に話を持ち込み企画を進めていましたが、余すことなく自分の口からスキルを伝授しようということになり、事業化を進めてきました。

 

これまでジャーナリストの人材育成の研究をしてきて、実践の場をつくることは長年の目標でした。まだまだ緒についたばかりで小さな取り組みではありますが、それでもほとんど告知をしていないにも関わらず、一気に募集定員に達するほどニーズがあることもわかりました。海外のメディアとの連携を模索し、すでに接触を試みています。

 

ジャーナリストも「一匹狼」の時代から進化し、学び合う文化を築き、世界に開かれた知見を共有するコミュニティを作っていくべきです。そのための一助となりたいと思っています。

 

 

◆◆◆

怒涛の2020年回顧をかいつまんで書きました。1、2、3の取り組みは全く異なったもののように見えてそれぞれのスキルが大いに生きました。30歳になってからはひたすらにやることが拡散されてきてパンクしがちなことが多かったのですが、徐々にやりたいことが絞られてきて目指す方向が明確になりつつあります。

 

来年はまたもや勝負の年。しかし、いつも決まっています。実行あるのみです。失敗しても敗北を喫しようとも、また立ち上がり走り続ける。それしかありません。

 

思い返せば、いろいろやってきたなぁと思います。多くの人に支えられてなんとか予期もしない災禍を乗り切ることができました。まだまだ大変な日々が続きそうですが、連帯して前を向いて歩を進めていけたらと思います。

 

今年1年、大変お世話になりました。良いお年をお迎えください。来年もどうぞよろしくお願いいたします!

ZOOMの授業で個別相談を受ける方法、グループワークを見守る方法

みなさん、こんにちは。

 

早いところですと、オンラインの授業が始まって約1ヶ月が経ちました。あれこれ試行錯誤しながらなんとか授業を継続しているところですが、先行してゴリゴリとオンライン授業を展開している学校ですと、おそらく様々なノウハウが蓄積されきているように思います。

 

私がここ1ヶ月、ZOOMの双方向型の授業を展開してきて、課題だと感じるのは、受講生の反応が見えないということが最も大きな点だと思っています。これを補うには、小まめに反応を取る時間を設ける必要があります。

 

「反応ボタンで、グッドのボタンを押してみてください!」

 

「手を挙げるボタンを押してみてください!」

 

「カメラの前で手で大きな丸を作ってください!」

 

こういう作業を事あるごとに行っていきます。

 

しかし、それでもやはり反応が十分にはわからないと思うことがあります。

 

対面授業でも同じですが、クラス全体で「何か質問ある人?」って聞いてもみんな手を挙げないですよね。特に日本人の学生だと場の空気を読み過ぎてしまう。しかし、対面授業だと全体の場では反応がなくとも、さりげなく「どういけてる?」と声かけができたり、教壇の前まで来て個別に相談しに来たりします。

 

この個別相談によるフォローアップが実はとても重要で、学習効果の底上げに繋がっていると思っています。

 

ZOOMで個別相談や声かけが実現できないものかと試行錯誤した結果、次のような手法があるのかなと思いました。

 

◆個別相談を行う2つの方法

1つ目は下の図のような形を作ることです。まずメーンルームで何か不具合があったり、質問があったりする人は手を挙げるボタンやチャットで反応してもらいます。その後、ブレイクアウトルームを1つ作って、手動でその学生をブレイクアウトルームに入れて話を聞きます。また、授業終わりに一言話しておきたい学生をピンポイントで呼ぶ時にも使えます。

 

ただこのやり方の難点は、他の学生が置き去りになるので、個人ワーク中や授業終わりなど、自分が授業を進行させる必要のない時のみ使える方法だいうことです。また、クラス全体の中で反応してもらわないといけないので、明確に相談したい学生しか言ってきません。

 

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2つ目の方法は、下の図のようにワーク(個人ワークでもグループワークでも構いません)をブレイクアウトルームでやってもらって、質問がある人だけメーンルームに戻ってきて相談をするというやり方です。

 

このやり方だと、メーンルームに誰もやって来ない場合は、それぞれのグループに入って行ってこちらから声かけができます。「どういけてる?」と声をかけると「大丈夫です」と返事があったり、些細な質問でも言ってくれたりします。また、学生同士で相談し合うこともできます。しかし、ブレイクアウトルームのワークは、メーンルーム以上に目が届かなくなることもあり、サボる学生が出てくることもあります。

 

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◆グループワークをさりげなく見守る方法

対面授業でグループワークをやってもらうときは、ワークの様子をなんとなく見回ることがありますよね。特に介入せず、つかず離れずの距離感で見守る。そして、介入する余地があれば少し議論に参加する。

 

この状態をZOOMで実現するにはどうすれば良いか。まずいくつかのブレイクアウトルームを作ってグループワークを進めていきます。そして、ホストや共同ホストがブレイクアウトルームを行き来してワークを見守ります。

 

その時に、あえてカメラをOFFにしてミュートした状態で回ると効果的です。カメラをONの状態で部屋に入ると、グループワークをしている受講生が「あ、先生だ」と言って、議論を中断させたり、黙り込んだりしてしまうことがあります。ですから、付かず離れずの状態に近い方法としてカメラOFF、ミュートにしてしまうのです。

 

この方法を考えたのは、私が勤めている國學院大學経済学部の基礎演習という初年次教育の授業を運営してくれているFA(ファシリテーター&アドバイザーの略)と呼ばれる学生たちです。

 

 FAは経済学部に50名近くおりますが、FAたち日頃の実戦から生み出される創意工夫やアイデアは目を見張るものがあります。1ヶ月も経たないうちにZOOMを使いこなし、非常に価値のあるアイデアを続々と生み出してくれています。

 

いつか FAたちのバイネームでアイデア集を日本中に発信できればいいなと思っております。

 

大変な状況が続いております。知らぬ間に家の床で寝てしまっていることもあります。しかし、今、頑張れば日本最先端。笑 楽しみながら頑張りたいと思います。

 

ゼロからわかるZOOMのブレイクアウトルーム機能の解説

みなさんこんにちは。

 

多くの業界でオンライン化が急速に進んでおります。国や企業レベルで大きなうねりが起こり、さらに個人間でも試行実験や情報交換が毎日行われています。御多分に洩れず、私も教育業界にいてオンラインの波をバッシャーンともろに受けております。

 

しかしながら、緊急事態とはいえ、ひたすら一人語りしている動画をそのまま流すのはどうなの?と思い、4月から双方向型の授業を模索するべくZOOMを本格的に使い始めました。

 

そこで、最も ZOOMの特徴的な機能の一つである「ブレイクアウトルーム」が使えると授業の幅が大きく広がることを知りました。そんなこともうわかっているという人もいれば、え、なにそれと思われている人もいるかと思います。

 

今回は、ZOOMはなんとなく使ったことあるけど、ブレイクアウトルームってよくわからないという方のために「ゼロからわかるZOOMのブレイクアウトルーム機能」についてスライドを作りました。また、それに付随して「ホスト」と「共同ホスト」についても少し触れています。

 

こういうものは「習うより慣れよ」の世界でもあるのですが、とは言っても足がかりがほしい。そんな人に見えていただければと思います。私も誰かに学んだわけではないし、日々仕様も変わっていくので、うまくいかないところがあっても怒らないでください。笑

 

みなさん、頑張りましょう!

それではお元気で。

 

 

 

 

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ジャーナリズムって何?①

気がつけば半年以上もブログを更新しておりませんでした。

 

文章自体は書いていなかったわけではなく、様々な媒体で書く機会も多く、手が回っていなかった、、、というスーパー言い訳でしかないのですが、そんな状況でした。

 

これまでよりもう少し短い文章でも、最近考えていることを発信していけたらなと思います。

 

最近はタイトルの通りジャーナリズムって何?ってところを起点にして、メディアを取り巻く事象を考えることが多いです。

 

ちょうど1年前、私はあるところから研修を頼まれました。外国のジャーナリストたちが来るから、日本の動向について研修してほしいとのことでした。法律、思想、文化などが異なる人々に、このガラパゴスジャパン!を説明するには、あらゆるものの前提から説明しないといけないため、なかなかハードルが高いなと頭を悩ませていたのですが、それはともかく、その研修担当者に初めて会った時に言われた一言がありました。

 

それがまさに、

 

「ジャーナリズムって何ですか?」

 

でした。

 

お恥ずかしながら、こちらに関する研究をしているにも関わらず、一瞬、軽くボディブローを打たれたかのように「うっ」ってなりました。

 

一瞬、「うっ」てなりつつも、その場で答えられる限りで説明はしました。一応納得はしてもらえた?のかな。

 

このメッシのパスくらい意表を突いてくる問いかけをされた体験からすると、全く門外漢の人にジャーナリズムの概念を明快に説明するのは、実はそんなに簡単なことではないのではないか。

 

どうでしょう。日々、情報発信している方、即答できますかね?

 

概念定義は様々ですが、例えばこのような定義があります。

 

「ジャーナルによって、同時代を恒常的に観察し、そこで何が起こっているのかという事実を探究し、時代と世界がどこに向かおうとしているのかを点検し、それらの結果を公衆に伝え、公衆に判断材料を提供しようとする社会意識、そしてその活動のこと」(花田達朗 2018『ジャーナリズムの実践 第2巻』,彩流社, pp14-15.

 

「主権者に必要な事実・情報を伝えることで、現実に影響を与える報道活動であり、時代に対する批判的言説を含むものである。それは人々の自由と主体性の獲得に資するものである」(根津朝彦 2019『戦後日本ジャーナリズムの思想』, 東京大学出版会, p2.

 

定義の2行目くらいから読むのやめた人、ちょっと待って。

 

 

少し紐解いていきます。

 

 

「ジャーナル」なので、日々の記録なんでしょうね。定期刊行物という意味もありますから、やはり日々のことを発信するという意味合いがありそうです。さらに、「主権者に必要な」や「公衆」って言葉が出てきているので、「今日、俺は朝から食パンを食った!」っていうのをパブリックに発信しても「あっそう」で終わるわけで、やっぱりみんなに関係のあることが発信される必要がありそうです。

 

みんなに関係があること。それは私たち全員の生命、自由、財産に関わること、つまり私たちの権利を束縛する国や大企業など強大なパワーを持つところに関係する話が主になってきそうですね。「首相がこんなこと話しています」、「国が新しい法律を作りました」といったことは、多かれ少なかれ私たちの生命、自由、財産に関わってくるので、発信されているのですね。

 

しかも「批判的言説を含むもの」とあるので、単に「政治家がこんなことを話しました」だけではなくて「こんなクソみたいなことやってまっせ」「社会でこんな不条理なことが起こってまっせ」もありだということです。ありというか、あえて概念定義に入れられているくらいなので、めっちゃ大事なのかもですね。それ以外にも大きな事件、事故、災害も私たちの暮らしに大きく影響を与えるので、発信する必要があるとされているのでしょう。

 

そして、それらの発信内容を見て、みんなでこれからどんな社会にしたいのか、どんな未来を描くのか「判断材料」にしてもらおうとする「意識」であったり「活動」であったりするということみたいです。journalismの最後が「ism」なので、ナショナリズムとか、エコツーリズムとかと一緒で、主義や意識といった「形のないもの」であるといえそうです。

 

ですから、

 

ジャーナリズム=マスコミでもないし、ジャーナリズム=インターネットでもない。

 

ジャーナリズムは、私たちにとって生きる上で大切な意識であり、誰のものでもなく私たち市民のものであるということだと思います。

 

しかしながら、そういう意識を持っている人、そんなに多くはないのではないでしょうか。特に日本においては。

 

こうしたことを考えつつ、今のメディアを取り巻く環境や歴史を振り返ってみると、色々と見えてくるものがあります。

 

お、意外に長くなった。今日はこのへんで。

 

それではお元気で。

 

 

 【ジャーナリズム人材育成論】

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